2019年12月20日 1605号
【中曽根元首相の死に思う/労働運動つぶしが狙いだった国鉄分割・民営化/今日の奴隷労働社会を招く】
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「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄の分割・民営化などを推進した中曽根康弘元首相が死去した。メディアは分割・民営化を中曽根の「功績」に挙げる。だが、それはグローバル資本にとっての功績であって、労働者・市民にとっては災厄でしかない。今日の新自由主義「地獄」は、中曽根が主導した労働運動つぶしの結果だからである。
追悼記事への違和感
中曽根の死に際して、読売新聞は「戦後史に刻む『大統領的』首相 」と題した社説(11/30)を掲げた。読売新聞グループ本社主筆の渡邉恒雄と中曽根は若き日から盟友関係にあっただけに、同紙は故人の「功績」を最大級の言葉で讃えている。
「内政では『聖域なき行財政改革』に取り組み、国鉄、電信電話、専売の3公社の民営化を断行した」「外交面で、今日に至る強固な日米同盟の礎を築いた功績は大きい。…防衛費の『国民総生産(GNP)比1%枠』を取り払い、防衛力の強化に努めたことも注目されよう」
この種の記事を世の人びとはどう見ているのだろうか。中曽根政権を直接知らない世代は関心がないだろうし、そもそも追悼原稿を熟読するほど暇でもない。しかし、国鉄分割・民営化を「功績」と讃える論調に黙っているわけにはいかない。
たとえば、政治学者の御厨(みくりや)貴(東大名誉教授)がNHKに寄せたコメントである。いわく「いちばんはやはり、戦後、労働組合と対峙して結果的につぶしたこと。国鉄を解体して、JRを作ったことが彼の功績でしょう」。
冗談ではない。憲法を尊重し擁護する義務がある総理大臣(99条)が、勤労者の団結権を保障した(28条)憲法に反し、自ら労働組合つぶしに動いたのだ。これを賞賛する談話が全国ニュースで無批判に流されるなんて、日本は本当に「異常な国」になったとつくづく思う。
新自由主義のはしり
中曽根自身の言葉をひもといてみよう。「国鉄労働組合っていうのは総評の中心だから、いずれこれを崩壊させなきゃいかんと。それを総理大臣になった時に、今度は国鉄の民営化ということを真剣にやった」(NHK『日曜討論』/2005年11月20日)
同じことを、国鉄再建監理委員長に任命された亀井正夫(当時、住友電工会長)も述べていた。「戦後の労働運動史の終焉を、国鉄分割によって目指す」(『文藝春秋』1985年9月号)と。
総評=日本労働組合総評議会とは、当時最大のナショナルセンター(労働組合の全国中央組織)のこと。総評が牽引した戦後の労働運動をつぶすことを中曽根や財界は明確に意図していた。その背景には、中曽根の言う「戦後政治の総決算」路線があった。
「総決算」路線なるものは、財界の要求にもとづく国家改造計画であった。軍事大国化の財源を捻出するために、「自助努力」と称して社会保障費を削減する。市民生活に直接関係を持つ公共部門を縮小し、新たな儲け口として民間資本に提供する。――まさに今日につながる新自由主義政策のさきがけだ。これを断行するために、国労のような職場に根ざした労働運動の抹殺をくわだてたのだ。
「国鉄改革に反対する者は新会社に採用しない」という形で、国家ぐるみの不当労働行為がくり広げられた結果、10万人が離職に追い込まれた。苦悩のはてに自ら命を絶った者も大勢いる。分割・民営化はまさに人殺しであった。
ルポライターの鎌田慧は言う。「国鉄解体は、いまのリストラの原点。国鉄解体後、組合の力は弱くなり、働く者の生活や人権が顧みられなくなった。その結果、労働者のクビ切りが簡単に行われるようになった」(『AERA』2017年4月10日号)。国鉄分割・民営化が「功績」だというメディアは「奴隷労働実現バンザイ」と言っているのと同じことなのだ。
サッチャーが死んだ時は
中曽根がお手本にした政治家に英国のマーガレット・サッチャー元首相がいる。サッチャーは反福祉・反労働組合を掲げ、過激な新自由主義政策を断行した。炭鉱労組を屈服させて鉱山閉鎖を進め、約23万人の雇用を奪った。
そのサッチャーが2013年4月に死亡した際、英国各地で「死を祝う祭り」が行われた。ロンドン中心部のトラファルガー広場には約3千人が集まり、「魔女が死んだ」と喜びあった。コラムニストのオーウェン・ジョーンズは「サッチャリズムは今も私たちを蝕(むしば)んでいる国家的災難」と指摘した。
映画監督のケン・ローチは、サッチャーの葬儀が準国葬として行われることに抗議して、こうコメントした。「彼女の告別式を民営化しましょう。入札を行い、一番安い見積もりでやりましょう。それこそ彼女が望んだものですから」
中曽根の場合だと、葬儀を分割し不採算部門は切り捨て、ということになる。「死者を鞭打つような言い草はよくない」と言われるかもしれない。しかし、中曽根は多くの労働者を鞭打ってきたのだ。この程度のおちょくりに遠慮など要らない。 (M)
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