2019年12月27日 1606号

【中曽根元首相の死/戦後日本 新自由主義の元凶/地域から反撃し公共交通再国有化を】

 11月29日、中曽根康弘元首相が死去した。戦後日本に巨大な「影」を作り出した元凶、中曽根。このまま安らかに眠れ"と言うわけにいかない。

最大の罪 国鉄分割民営化

 中曽根が首相就任時、米国にはレーガン政権、英国にはサッチャー政権が登場。国有企業民営化、規制緩和などの新自由主義政策が本格導入された。英国では炭鉱など主要産業の労働組合を解体する大規模な攻撃が始まっていた。

 中曽根は、レーガンやサッチャー同様、こうした政策を日本にも本格導入した。1985年に電電公社(現NTT)、専売公社(現日本たばこ産業)を民営化。通信事業や塩の専売といった市民のための重要な産業を自由化しグローバル資本に売り渡した。

 過酷を極めたのは1987年に行われた国鉄分割民営化だ。全国1社だった国鉄を6地域と貨物、7会社に分割し民営化。この過程で10万人近い国鉄労働者が追い出された。1985年度の国鉄労働者は約31万7千人。分割民営化はその3分の1を解雇するものだった。分割民営化に反対する国労などの組合員は鉄道業務から草むしりなどの業務に転換されることをはじめ、自発的に辞職するよう仕向けられる中、100人以上の労働者が自ら命を絶った。

 優良な資産も抱え、見せかけの赤字に過ぎなかった国鉄を偽装倒産させ、多くの労働者を解雇する。国のお墨付きを得たこの方式はその後、民間にも広がった。国鉄分割民営化は労働者総首切り社会の始まりになった。

 中曽根は「1人も路頭に迷わせない」と言いながら、最終的にどこにも採用されない1047名を生み出した。

安全、地方を切り捨て

 国鉄労働者の3人に1人を追い出す異常な「改革」は、必然的にあってはならない事故を生んだ。従来より少ない人員で増えた列車本数とスピードアップを同時に実現させようとする過酷な労働強化で、JR西日本では信楽高原鉄道事故(1991年、42人死亡)、福知山線脱線事故(2005年、107人死亡)など大事故が相次いだ。分割民営化当時の国労組合員への仕打ちのような運転士への非人間的日勤教育は強い批判を浴びた。

 JR東日本でも風速規制が緩和され、羽越線事故で5人が死亡。北海道でも石勝線列車火災事故(2011年)が起きた。JR北海道発足時、1万3千人だった社員数は2013年時点で6800人。分割民営化で減らした労働者数をさらに半分に減らす「改革」の当然の結末だ。

 JR北海道は2016年11月に自社単独では維持困難な路線として10路線13線区を公表。その営業キロ数はJR北海道全体の半分に及ぶ。労働者も路線も半分に減らすJR北海道。新自由主義的国鉄「改革」の象徴だ。

 国鉄末期に廃線が進んだ北海道では、高校生やお年寄りが学校や病院にも満足に通えない地域が続出している。公共交通の安全も地方も破壊し、労働者を路頭に迷わせ、政治家は平気で公約を破り嘘をつく。中曽根と新自由主義が日本にもたらした大災厄だ。

地域は立ちあがる

 大手メディアは国鉄分割民営化の中身には一切触れず、中曽根の「功績」と大々的に宣伝する。だが「そう思っている人たちは北海道の現実を見てほしい」(元国労稚内闘争団・田中博さん)との声が上がる。道民が望んでもいない北海道新幹線工事が着々と進みながら、存続を望む生活路線は次々と廃止されていく。「新幹線以外はすべてJRから切り捨て、民間企業か地元自治体でやれというのが国の方針。国は分割民営化の延長線上に廃線を位置づけ、意識的にやってきている」。そう指摘するのは元国労函館闘争団の佐々木勉さんだ。

 しかし、国と道、JR北海道が一体となって道民に押しつけようとした廃線は各地で抵抗に直面している。JRが「バス転換が適当」とした5線区のひとつ、根室本線(富良野〜新得<しんとく>)沿線では自治体、地元経済界、労働組合、住民が一体となり災害復旧、廃線阻止を求める闘いが続く。同じ5線区の日高本線(鵡川<むかわ>〜様似<さまに>)沿線では、住民の闘いによって地元・浦河町が最後まで廃線反対を貫いた。日高町村会は密室協議でバス転換同意案を「強行採決」したが、沿線全自治体による早期の同意は見通せない情勢だ。人間も地域も再生産を不可能にする新自由主義に未来はない。

 「政治家は歴史法廷の被告席に座っている」と生前、自著で宣言した中曽根。もちろん有罪だ。最大の罪である国鉄分割民営化を検証し、JR再国有化で公共交通を復活させよう。



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