2019年12月27日 1606号

【シネマ観客席/家族を想うとき Sorry We Missed You/監督 ケン・ローチ 2019年 イギリス・フランス・ベルギー 100分/個人事業主扱いの奴隷労働】

 ケン・ローチ監督の最新作『家族を想うとき』が公開中である。83歳になった名匠が引退を撤回して描いたのは、グローバル資本主義が強いる「自己責任」労働の現実と、その代償を支払わされる家族の物語だ。劇中の一家が直面した問題は、私たちの問題なのである。

宅配ドライバーの現実

 主人公のリッキーは英国北部の町で暮らす中年男性。妻と2人の子どもがいる。建設業の仕事を失って以来、職を転々としながら懸命に働いてきたが、暮らし向きは少しも楽にならなかった。

 そこでリッキーは宅配ドライバー業を始めることにした。個人事業主として配送会社と業務請負契約を結び、出来高制で報酬を受け取るシステムだ。1日14時間週6日労働と仕事はキツイが、2年も働けばマイホーム購入も夢じゃないと思った。何より、安い給料で人に使われるのは、もうウンザリだった。

 妻アビーの車を売り、配送用のバンを買ったリッキー。「今日から俺がボスだ」と初仕事にのぞむ。すると、同僚のドライバーが空のペットボトルを「必需品だ」と差し出してきた。尿瓶(しびん)に使うのだという。「からかうなよ」と応じるリッキー。しかし、彼の想像以上に宅配ドライバーの仕事は過酷だった。

 夜遅くまで働いても配り切れない大量の荷物。「不在」等で配達できなければ、その分の稼ぎはない。休めば高額の罰金を科せられる。おまけにドライバーは会社に常時監視されており、車を降りて少し休んだだけで警報音が鳴り響く…。たしかにトイレで用を足す暇もなかった。

 一方、訪問介護士のアビーは複数の介護先を慌ただしく回る日々を送っていた。車を売ったため移動はバス。家にいる時間はますます少なくなり、子どもたちへの連絡は留守電が中心。家族と満足なコミュニケーションをとることもできなくなっていた。

 そんなある日、高校生の息子セブが万引きで捕まった。リッキーは仕事を休んで警察に迎えに行くが、一日の収入がなくなり罰金までとられることにイラ立ち、ついセブを殴ってしまう。翌朝、最愛の息子の姿はバンのキーとともに消えていた…。

新たな搾取形態

 緊縮財政による福祉切り捨てを告発した前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』を撮り終えた後、ケン・ローチ監督は引退の意向を表明していた。再びメガホンを取ることにしたのは、前作の取材でフードバンクを訪れた際に出会った労働者のことが気にかかっていたからだという。

 働いているのに食料配給に頼る彼らの多くは、ゼロ時間契約やギグ・エコノミーなどの新しいタイプの労働形態だった(別稿参照)。劇中のリッキーがそうであるように、現実には会社の指揮命令下にあり、実質的なノルマを課されていても、個人事業主として扱われる。

 そのため、被雇用者とはみなさず、労働法が適用されない。労働時間や最低賃金などの規制はなく、仕事中に負傷しても保障は一切ない。社会保険料や業務にかかる諸経費(宅配ドライバーだと車両維持費や燃料費)は自己負担。人件費を削減したい企業からすれば、究極の低コストワーカーというわけだ。

 こうした労働規制逃れの働かせ方が英国では社会問題になっている。ワーキング・プアの温床になっているというのだ。日本も同じだ。厚生労働省の調べによると、個人請負で働く人は170万人に達しており、その3割が年収50万円未満だという。リッキー夫妻ががんじがらめになった奴隷労働は、もはや日本の日常となっている。

希望は現実の行動

 今回の映画の取材で何人かの宅配ドライバーに会ったケン・ローチは「生活をするために働かなければならない時間の長さと、仕事の不安定さに驚いた」と話す。そして彼ら労働者、その家族の犠牲の上に成り立つビジネスに疑問を投げかける。

 「1日14時間、くたくたになるまで働いているバンのドライバーを介して買った物を手に入れるということが、持続可能なのでしょうか。友人や家族の関係性にまで影響を及ぼすプレッシャーのもとで人々が働き、人生を狭めるような世界を、私たちは望んでいるのでしょうか」

 本作の原題は「Sorry We Missed You」。宅配便の不在票に記される言葉で、「お届けに伺いましたが、ご不在でした」という意味だ。仕事に追われるリッキー夫妻は、家族の大切な場面でも不在とならざるを得なかった。

 「資本主義のシステムはカネを儲けることが目的で、労働者の生活の質には関係がない」とケン・ローチは言う。実際、グローバル資本主義は失業や収入減の恐怖で脅し、人間らしい生活が不可能な長時間・無権利労働を強いている。「家族を想うとき」はなくなってしまうのだ(そういう意味を込めて付けた邦題ではないと思うが…)。

 物語の結末は重い。「子どもの涙で家族は絆を取り戻した」式の展開を予想していると打ちのめされる。だが、観客に安易な救いを与えて終わりとしないところに、新自由主義と戦争に反対する新しい左派政治運動を提唱するケン・ローチの真骨頂がある。

 「満足感はないんです。あえていえば僕の映画を見て、『こんな現状を許してはいけない』と考え、行動する人が出てきてほしいという希望を持って映画を作っています」。監督の渾身のメッセージに応えていきたい。   (O)

解説『家族を想うとき』が描いた現実/あの手この手の「労働法逃れ」

▼個人請負

 『家族を想うとき』のストーリーは実際に起きた宅配ドライバーの悲劇を元にしている。2018年1月、英国の配送業者最大手のDPD社で働いていたドン・レーンさんが糖尿病の悪化により死亡した。働き盛りの53歳だった。

 DPDはドライバーを業務委託扱いにし、荷物1個を配達するごとに報酬を加算する制度を取っている。DPDが依頼する分の配達をその日にこなすことができなければ、ドライバーには罰金が科せられる。この制度があるため、レーンさんは病状が悪化しても仕事を休んで病院に行けなかった(有給休暇もない)。

 仕事中に倒れ、病院に行ったレーンさんに対し、会社は罰金150ポンド(約2万3千円)の請求を突きつけた。妻ルースさんによると、レーンさんは死の数日前まで「仕事をしたくないが、しなきゃいけない」と話していたという。

 ちなみに、映画の主人公であるリッキーは「PDF」のロゴ入り制服を着用している。英国の観客ならDPDをモデルにしていることがすぐわかる。

▼ギグ・エコノミー

 ミュージシャンがその場限りのセッションを組んで演奏することをギグという。これが転じてギグ・エコノミーとは、インターネットを通じて単発または短期のの業務を出来高制で請け負う働き方のことを指す。

 アプリ等で登録されるギグ・ワーカーは被雇用者ではないので、最低賃金や有給休暇などの労働者保護制度の適用外とされる。英国独立労働者組合の書記長は「ギグ・エコノミーは新たな貧困を生み出している」と指摘する。

 日本でも問題になっており、飲食店の宅配代行を請け負うウーバーイーツの配達員らで作る労働組合が、会社から一方的に報酬を引き下げられたなどとして、団体交渉を申し入れている。だが、ウーバー側は「配達員は日本の労働組合法上の『労働者』に該当しない」と主張し、交渉を拒んでいる(12/5朝日)。

▼ゼロ時間契約

 雇用主がその時々に求めた時間だけ働く労働形態のこと。英国ではゼロ時間契約で働く労働者が100万人に迫る。劇中のアビーのような介護従事者の場合、およそ3分の1がこの労働契約で働いている。

 緊縮財政の下、縮小する社会保障予算の一部を奪い合う介護業界ではコストカットのために、5分から20分の超短時間訪問介護が当たり前になった。「満足なケアができない」とアビーが嘆くのは当然だ。(M)





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