2020年01月03・10日 1607号

【表現の不自由展事件の本質/展示中止は検閲、植民地支配責任の隠ぺい/壁は倒せたか 橋はかけられたか】

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」一時中止の経緯などを調べてきた愛知県の検討委員会が、展示中止は「表現の自由の不当な制限には当たらない」とする最終報告をまとめた。一体そんなことが言えるのか。12月8日都内で行われたシンポジウム「表現の不自由展中止事件の〈本質〉とは何か」の議論から考えてみる。

都内でシンポジウム

 シンポジウムは「表現の不自由展・その後」を企画した主体である表現の不自由展実行委員会(以下、不自由展実行委)の主催。不自由展は再開されたが、「事件が投げかけた多くの問題は未解決で、知られていないことが数多くある」ため「当事者の立場から事件を証言し、問い直す」ことを目的とする。実行委員5人のうち美術評論家のアライ=ヒロユキさん、元テレビ朝日記者の岩崎貞明さん、編集者の岡本有佳さんの3人がパネリストになった。

 「知られていないこと」の一つが、不自由展実行委はあいちトリエンナーレ2019(以下、あいトリ)の正式の出品作家だった事実だろう。あいトリ実行委員会大村秀章会長(愛知県知事)名の参加依頼書にその旨が明記され、出品契約もあいトリ実行委と不自由展実行委の間で交わされた。ところが、開始3日目の中止は、出品作家である不自由展実行委に何の相談もないまま一方的に決定・発表された。これだけをとっても、作家の表現の自由が侵害されたことは疑いようがない。

 ここでポイントとなるのは“検閲”の定義だ。アライさんが説明する。「オックスフォード英語辞典は“わいせつ”“政治的”のほか“安全への脅威”を理由とする禁止・規制も検閲に含めている。事前・事後を問わない。

 一方、日本の判例では思想統制だけに限定した上、発表後の規制は検閲に当たらないとする。世界の常識からはだいぶ違う」。展示開始後であっても、脅迫や電話による攻撃からのセキュリティを理由にしていても、中止は明々白々たる検閲―これが国際標準なのである。

検討委の不公平性

 不自由展に出展した16組の作家の作品は、5つのカテゴリーから成る―「朝鮮植民地支配」「天皇制」「フクシマ」「政治批判」「その他」。クレームの5割は『平和の少女像』に、4割は燃える天皇の写真を織り込んだ『遠近を抱えて』に向けられたが、メディアの天皇制タブーで報道は少女像に集中した。攻撃は政治的表現一般ではなく、植民地支配責任を問う表現・作品に対して加えられたのだ。検討委の最終報告はこの点に全く言及していない。

 そもそも検討委(当初は検証委員会と称した)の公平性が怪しい。岡本さんは「第三者委員会のように報じられるが、人選はすべて大村知事。セキュリティの専門家はおらず、作品の内容に踏み込むひどい発言もあった」と批判する。検証の論点はキュレーション(展示の企画立案・監修・作品選定・解説)批判にすりかえられていった。

 一例として、限定再開にあたり検証委が貼り出したパネルがある。少女像の作者キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻の『ベトナムのピエタ』に「韓国軍の犠牲になった母子」の説明を付し、少女像については「女性の人権回復を願うもの」と解説している。「自国の歴史的課題に向き合うなら、少女像には『日本軍の犠牲となった女性』と書かなければならないはず。検証委の姿勢がわかる」と岡本さん。「“韓国軍の罪も示しているから安心して見れますよ“で何を消すのか。“女性の人権“一般論だけだと何が見えなくなるのか。植民地支配責任だ」と力説した。

闘いはこれからだ

 アライさんは「再開を実現に導いた2大要素は(1)(再開を命じる)仮処分申し立て(2)十数作家の展示ボイコット」と指摘する。検証委のキュレーション批判には「表現はコンセプト。作家が自ら制作せずとも、他人の作品を並べても、人びとが活動する“場”を作品としたり非美術家が参加した表現であっても、展示空間は成り立つ」と反論する陳述書を提出した。

 アジア各地の日本軍「慰安婦」被害者を記録してきた写真家の安世鴻(アンセホン)さんが特別発言。2012年の新宿ニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件の当事者として「以前は右翼の騒動だったが、現在は政治圏までもが関与している。社会全体の右傾化の傾向は深刻。(不自由展にふさがる)あの壁はメディアを統制し自由な思考をさえぎる、いま私たちが生きている社会の表現の不自由の壁だ」と語った。

 シンポジウムの結びで岡本さんは「韓国済州(チェジュ)島で12月中旬から1か月半、不自由展が開かれる。米テキサス州からも招待がある」と紹介。不自由展実行委は終了にあたっての声明に米国の活動家アンジェラ・デイヴィスの「壁を倒せば、それは橋になる」という言葉を引用した。表現の不自由は消えていない。闘いはこれからだ。



ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS