2020年01月03・10日 1607号

【どくしょ室/あいちトリエンナーレ「展示中止」事件 表現の不自由と日本/岡本有佳 アライ=ヒロユキ編 岩波書店 本体1800円+税/戦後最大規模の検閲事件】

 2019年8月、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が、匿名の抗議・脅迫や政治家の圧力によって一時中止に追い込まれた。本書は、編者の言う「戦後最大規模の検閲事件」の核心に迫った一冊である。

 不自由展中止事件に関するメディアの報道には大きな偏りがあった。企画した主体である不自由展実行委員会の主張や動きをほとんど報じなかったのだ。不自由展実行委員会が「出品作家」であること、出品作家の展示請求権を根拠に行った仮処分申し立てが再開実現に大きな役割をはたしたことも無視された。

 「『表現の不自由展・その後』は日本軍『慰安婦』をモチーフにした写真展の検閲への抗議行動に根を持ち、日本の過去の戦争や植民地支配への批判が活動の核にある」と編者は言う。そこから「歴史と記憶」を主題とする《平和の少女像》という作品を展示する意図も出てくる。

 こうした企画意図をメディアは掘り下げようとせず、安倍政権に連なる勢力による「歴史否認」という「社会的事件」を芸術の範疇(はんちゅう)に閉じ込める役割を果たした。河村たかし名古屋市長らの歴史歪曲発言を明確に否定しなかったトリエンナーレ主催者(大村秀章愛知県知事)や津田大介芸術監督の責任は重い。

 また、「『検閲』をめぐって海外と日本の認識の落差が浮き彫りになった」という。海外作家は中止事態を「許容しがたい検閲」と捉えており、展示ボイコットを含む抗議の動きが広がった。ところが、トリエンナーレに参加した日本の作家の中には「政治事件に巻き込まれたと迷惑を表明するものもいた」という。

 「日本の美術界は没政治性をしばしば指摘されるが、言論表現に対する弾圧を他人事と見なせることにその病が現れている」。ある海外作家は「日本の人たちの頭の中にはポリスがいるのではないか」と述べたという。日本社会の「自粛」状況を言い当てた発言だ。

 こうした議論を突き詰めていけば、「美術展は何のためにあるのか」という根源的な疑問に行き着く。日本の現状は世界の常識に反している。「現代美術が言論表現ではなく、催しもの、娯楽芸能であり、そこから利潤を得るビジネス=地域おこしと単に捉えられているなら国際美術展の資格はない」と編者は厳しい。

 美術展は本来、「表現の送り手と受け手の〈表現の伝達と交流の場〉」であるはずだ。誰もが安心して議論できる公共空間を確保してこそ「表現の自由」は守られるのである。

 トリエンナーレが閉幕しても、同種の検閲事件が相次いでいる。過去について知る市民の権利を奪う、歴史修正主義者の攻撃に沈黙してはならない。検閲は内面化したときに完成するものだから。    (O)
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