2001年09月14日発行705号

【日本の戦争責任資料センター 上杉聰さん 「つくる会」惨敗は平和と人権意識の勝利】

写真:上杉聰さん顔写真

 「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書(扶桑社版)採択率は、全国で〇・一%にも達しなかった。採択阻止の運動に大きな役割を果たした日本の戦争責任資料センター事務局長・上杉聰さんに、その意義や今後の課題について聞いた。(九月一日、まとめは編集部)

モラルの低さあらわに

◆今回の採択結果をどうとらえますか。

―養護学校や私学の一部で採択されたものの、十六年前、ほぼ同じ勢力が高校歴史教科書『新編日本史』を作ったときは、約八千冊を採択させている。それと比較しても、「つくる会」の惨敗、平和と人権意識の勝利とみるべきと思う。彼らは当初、「五%はとりたい」と言っていた。それが五百冊弱の〇・〇三%程度に抑えられた。どれほど大言壮語しようと惨敗に疑いの余地はない。

 今後、養護学校に押し付けた「つくる会」の教科書とは一体なんなのか、が問い直される。現実には数合わせにもならず、向こう側のモラルの低さだけがあからさまになった。採択されたけれども使えないとか、ほかの教科書に変えざるをえないとか、ということがいずれ出てくる。

多くの人に危機感

◆この結果を作り出した力は。

―一つに、ノーベル文学賞の大江健三郎氏や多くの歴史学者など日本の代表的知性が「ノー」と言った。教科書として水準が全くひどいと公然と表明したことが、目に見えない影響をもたらしている。

 二つ目には、韓国・中国の抗議、特に韓国との交流事業の途絶だ。これは初めてのことで、全国で百以上の事業が壊れていった。「外圧だ」「内政干渉だ」などの誤解を押し返すだけの迫力がアジアの側にあった。これが、日本人に教科書問題の重大さを考えさせた。採択したら友好関係が壊れるという現実を示したわけで、採択の権限を持っている自治体にとって、非常に大きな意味をもった。

 それと関連して、在日の人たち、とりわけ民団(在日本大韓民国居留民団)の人たちがやむにやまれず必死で動いた。今回の運動の性格を考えるうえでも重要だと思う。どういうリアクションがくるかわからないという恐怖の中で、反対運動を決意してやった。ここに国内の先鋭な状況がでている。在日の人たちは存在そのものも否定される。必死の願いが状況を動かした。

 三番目に、ほんとうに多くの人が危機感を持ったのではないか。教科書の内容を見て、ここまでひどいのかと。人権や平和主義など、戦後の価値観を全部根底から崩してしまうという思いが、草の根から反撃を作り出した。

 「日の丸・君が代」法、ガイドライン法が通り、戦争に近づいたとみんなが読み取っていた。署名をやったら次々と集まり、“人間の鎖”にもたくさん集まったように、ほっとけないという気持ちをもたらした。全国で一千回ぐらいの学習会が開かれたと言われている。どこも予想以上の人数だった。

 自民党はわずか二五%ほどの得票で国会では過半数をとれる。しかし地方議会・教育委員会は、住民や教員の意向に不断にさらされる。東京・杉並区でも教育委員の最後の一人が住民と議会の意向で入った。それで阻止できた。

 今回、「初めてアジアへの加害の問題を聞いた」という人も多かった。加害責任の問題は、まだ途上にあると思う。うまずたゆまず十五年、二十年とやってきたが、教科書問題で裾野が広がった。この機会をとらえて、さらにどこまで広げていくことができるかが問われている。

採択システムの民主化を

◆今後の課題は

―教育委員会などへの要請を、インターネットやファクスで呼びかけるというのは最後の手段だった。いろんな団体や市民が協力し、危ないところも何とかくいとめたが、薄氷を踏む思いだった。こちらが、勝てた理由をきちんと整理することが重要だ。

 「つくる会」は、教科書採択のシステムの改悪には成功したものの、現場や地域の意思を完全に封じるまでにはいかなかった。これを元に戻していかなければならない。全国の運動で、現場や住民の意向がより反映できる採択にしていくことが必要だ。

 もう一つは養護学校の問題。人権の記述が最も少ない教科書を養護学校の子どもたちに押し付けたことは、「つくる会」の教育に関する根本的姿勢を批判する重要なポイントだ。

 それから、アジア共通の副読本を作っていく運動を起こしたい。教科書の記述は悪くなっている。副教材を作り、授業実践などで、認識が広がっていかないと教科書は変わらない。社会全体の意識レベルが教科書の内容を決めると思う。これは、今からやっていかないと―。

(ありがとうございました)

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