2002年03月29日発行732号

【東ティモール 日本のPKO部隊にNGOが抗議 高まる“自衛隊帰れ”の声】


地図

元慰安婦もデモに参加

 三月四日、東ティモールでのPKO(国連平和維持活動)に参加するためC一三〇輸送機でディリ空港に降りたった陸上自衛隊の第一陣二十四名は、「自衛隊帰れ」の抗議デモによって出迎えられた。

 デモを組織したのは東ティモールの複数のNGOグループ。行動参加者は空港近くで集会を持ち、「日本の自衛隊、ゴーホーム」「日本の部隊はインドネシア軍と同じだ」「一九四二年から四五年の間に四万人のティモール人が殺された」などと書いたプラカードを振りかざした。この行動には、アジア太平洋戦争中にティモールに侵攻・占領した日本軍によって強制的に従軍慰安婦とされたティモール人女性が参加。その中の一人は「私たちはただ償いを求めているだけ」と語った。

 自衛隊員たちは国連・東ティモールの警察官によってガードされ、空港脇門を通ってこそこそと逃げ去った。

四万人殺した旧日本軍

 自衛隊派遣は、六十年前の日本軍の残虐行為を振り返らせる契機となった。

 一九四二年二月に日本は中立を宣言していたポルトガルの植民地ティモールに侵攻した。先に上陸していた連合軍(オランダ・オーストラリア軍)を支援したという理由でティモール人を殺害・虐待し、一万二千人の日本軍の食糧確保のために作物・家畜を強奪し、軍用道路・兵舎建設のために強制労働を課した。またティモール全土十四か所に軍隊慰安所を作り、ティモール人女性を慰安婦にした。日本軍による処刑や強制労働、徴発、インドネシア人のテロ部隊を使った暗殺などによって占領期間中に四万人が殺された。この数は戦前の人口の一二%に相当し、アジア太平洋戦争の中できわめて高い死亡率となった。

 だが、敗戦後のポルトガルから日本への戦時被害の補償請求には東ティモール人の被害への補償請求は含まれず、日本はこの問題を放置してきた。さらに七六年に東ティモールを併合したインドネシア・スハルト政権に対する国連の非難決議を妨害し続け、人権侵害を後押しするという二重の犯罪を犯してきた。

 東ティモールの人々にとって自衛隊派遣は日本軍の再侵攻と写り、「自衛隊帰れ」の抗議が起こるのはきわめて当然の事態なのだ。

本当の狙いは武力行使

 自衛隊第一陣の小川司令官は、空港で「われわれは東ティモールの再建を助けるためにきた」と語ったが、これは真っ赤なウソだ。

 今回のPKO参加について政府は「アジアでのPKOを通じてアジア諸国と『協業』の経験を積むことになれば、安保政策の上でも意義がある」(防衛庁幹部3/12朝日)と位置づけている。つまり、海外での軍事作戦訓練が最大の狙いであり、自衛隊の武力行使がもくろまれている。

 昨年の臨時国会で小泉内閣はPKO法を改悪し、隊員の生命防護に限定されていた武器使用基準を緩和した。これを受けて陸上自衛隊は武器使用について状況に応じた「対応要領」を定め、東ティモールで地形・建物の状況に応じた対処訓練を実施するとしている。公式任務といわれる道路や橋梁の補修は単なる口実にすぎない。要するに、交戦規定を作り、いろんな状況での戦闘訓練を行ない、あわよくば実際に発砲にも踏み込もうというものだ。

 すでに第二陣が強襲揚陸艦おおすみで出発した。四月上旬までに過去最大規模の六百八十名の部隊を六十四億円(東ティモールの年間歳入の六分の一)という巨額の費用を使って送り込もうとしている。

 昨年十二月、東ティモールのNGO二十団体は自衛隊派遣反対の声明を発表した。そこにあるように、過去の戦争犯罪への真摯な謝罪と補償の実行こそが日本の義務であり、自衛隊はただちに撤退すべきである。

ホームページに戻る
Copyright FLAG of UNITY