おなかの大きい妊婦さんたちでにぎわう中待合室から少し離れた外の待合に、中の雰囲気には馴染まない年の頃十六〜十七歳の男女が、仲良く肩を寄せ合って座っています。問診票に、二人で寄せ書きでもするように、書き込んでいます。
A子は高校一年生、B男は今はやりのフリーターとのこと。注意をしないと、内診室にも付いてきそうなところを、スタッフがとどめます。診察室には、手をつないで入ってきました。
私 「妊娠してるよ」
A 「やっぱり、ほんまやってんわ。検査薬でプラスやってん、二週間前」
私 「なんで、すぐに来んかったん?」
B 「べつにどうもない言うし、行きたくないって」
私 「何ともないって…君はどう思ったの」
B 「…」
私 「コンドーム使ってたん?」A・B 「ううん」
私 「(はーっ)妊娠したら、どうするつもりやったん?」
B 「『できたら、ほしい』って、こいつが言うし、それでもええかなーって」
私 「(ふーっ)学校は?」
A 「やめてもええし…」
私 「親にどう言うん?」
A 「言われへん、絶対に!言いたない」
私 「二人で全部いろんなことやっていけるん?」
B 「…まだ、何も考えてへん。バイトも減ってるし、お金あんまり無いねん」
A 「…」
結局中絶になったこのカップル、入院中もずっと手をつないで行動。消灯時間になっても彼は、帰りません。
B (自分も泣きながら、Aの手を握りしめて)「痛いって、泣いてる。何とかしたって」
私 「痛み止め、効かへん?」
A 「よう、わからん。なんか、むっちゃ怖い」
AとBは、ひたすらからだを寄せ合って、行動をともにすることで、互いをわかりあい、支え合おうとしているようです。でも、二人とも、なぜそんなにつらい気持ちや不安な気持ちになるのか、原因の妊娠についても、中絶についても、今後のことについても、ほとんど関心がないように見えます。求めているのは、一緒にいる「安心」だけのようです。
「安心」だけ。「かわいそう」と口にしながら、困難な事実と向かい合うことは限りなく避けられ続けます。
そんな奇妙な「やさしさ」が若い世代だけでなく、彼らの親の世代にまであふれています。これはいったい何なのか。産婦人科医の診察室からかいま見える女性たち(男性たち)の今を、考えてみたいと思います。
(筆者は、大阪・阪南中央病院産婦人科医師。なお、文中の人物は実在の人物ではありません―編集部)。