米西海岸、バークレー市。9・11事件後、全米世論の九割以上がアフガン空爆を支持する中で、唯一、反対決議をあげた町である。なぜ、決議が可能だったのか。その答えがビデオになった。民主主義のルールがあたりまえのように根づいていた。住民参加の町づくり。多様な市民が主人公である町の息吹が伝わってくる。
反対決議の瞬間
空爆開始から九日後の十月十六日、バークレー市議会の議場は多くの市民で埋まった。
ビデオは、決議当日の緊迫した市議会の様子を見せてくれる。日本では初めて紹介される場面だ。議員は市民と向かいあい、意見を述べ態度を表明する。
「ただちにアフガン空爆を停止し、暴力の連鎖を断ち切ることを求める(決議案第二項)。採決をとります」
議長が宣言した。採決は、八つの選挙区から選出された議員と議長役の市長を含め九人が行う。議員の名前が一人ずつ呼ばれる。
「アームストロング」「アブステイン(棄権)」「ブレランド」「イエス(賛成)」…賛成五、棄権四。採択。
この決議案に関して全米から抗議の電話・メールが何千と送られてきたという。だが、バークレー市民は決議を歓迎した。提案者のドナ・スプリング議員は、決議を思い至った理由について「町中で、数千人の市民が空爆反対のデモを行った」と語っている。
議会には市民参加を保障する工夫がなされている。開会は毎週火曜日午後七時。議場を訪れた市民のうちから抽選で十人が一人三分間の発言ができるパブリック・コメント。決議の日も、発言に立った市民は議論を交わした。反対三人、賛成七人。採択への大きな力となった。
パブリック・コメントでは国政に関することから身近な問題まで、何でもテーマにできる。人種差別の問題、低所得者への住宅供給の要求。小学生も発言する。「自転車通学がしたいから、駐輪場の増設をしてください」。「議会で取り上げましょう」と議員が応える。
議会の下に四十二の委員会が作られている。平和と正義委員会や警察監視委員会、住宅・青年などテーマは幅広い。この委員会にもパブリック・コメントが保障されている。委員会活動は多くの市民ボランティアが支えている。
フリー・スピーチの力
自由に自分の意見を表明する―このあたりまえの権利も歴史的な闘いを経て得られたものだった。
一九六〇年代、黒人差別と闘う公民権運動が全米に広がった。バークレーでは、カリファルニア大学バークレー校の学生が政治活動を理由に逮捕された事件をきっかけに一気に燃え上がった。六千人の学生による三十二時間の抗議行動。パトカーの上にマイクを立て、一人三分のスピーチが続いた。言論の自由を求めるフリー・スピーチ運動が巻き起こった。当時の貴重な映像は、会場となった大学内スプロウル広場の熱気を伝える。
四十年後、その場所を取材したカメラは、小学生が先生からフリースピーチ運動の歴史を学んでいるところに出くわす。フリー・スピーチ運動の伝統が受け継がれていく。
市政貫く住民参加
正しい情報・発言の機会を保障する上でメディアの役割も見逃せない。バークレーには、自主運営のラジオ局KPFA(通称パシフィカ)がある。第二次世界大戦の時、平和主義者が設立した。わずか三十人程度のスタッフしかいないが、その倍以上の市民ボランティアが運営を支えている。全米にネットを持ち、唯一何でも言えるラジオ局として支持を得ている。
カメラは、街頭で自らの主張を掲げるいくつもの市民の行動を捉える。パレスチナ問題を訴える人。イラク爆撃の写真を掲げる人。車椅子や高齢者を交えたデモ。
多様な人種・多彩な文化が共存する米西海岸サンフランシスコ・ベイエリア。バークレーも例外ではない。性差・年齢など何のこだわりもなく、自由に意見表明できる伝統とそれを継承してきた市民の努力。市政のすべてに住民が参加できるシステム。これがバークレー決議を生み出した力だと実感できる。
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今日本の各地で地方自治のあり方が問い直されている。バークレーに続こうと、住民が世界に関心を持ち、地域の政治を変革していく行動が始まっている。このビデオも、バークレーとの市民レベルの交流の中から実現したものだ。
自らの地域の問題はもとより国政や外交問題にまで、一人一人が自由に自分の意見を言い、政治に参加していく。それが自治の基本であり、平和と民主主義を地域で実現していく出発点だとビデオは教えてくれる。地域での集まりに活用すれば、平和な地域づくりの夢と希望が具体的になること間違いない。 (T)
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