マル生攻撃をはね返せたのはなぜか。分会員の三十八人がバッと脱落すれば、普通はさらに一人、二人と増えていくもの。「自分も流れに乗り遅れたくない」って人間が出てきてもおかしくない。でも、これ以降一人の脱落も出なかった。今でも不思議に思っていることなんだ。
まず言えることは、常に当局を攻め続けるという意識を持っていたことかな。
組合に家族的なつながりがあり、信頼関係を持っていたこと。泊まり勤務の時の「居流し」(七四三号参照)も大きかった。真っ二つに割れたことは悲しいけど、前の方がよかったという思いが一人一人の組合員の中にあったと思う。そういう点で、「無駄口をきくな」、話すなら「国労に戻れ」という方針は組合員にとって分かりやすかった。それをみんなで徹底したことがよかった。
妙な話だけど、以前から誰もロッカーに鍵をかけないんだ、うちの職場は。転勤者が来ると指導助役が構内を案内するのが通例。その時「ここではロッカーの鍵を締めない」って必ず説明していたもんだ。風呂場で金を忘れても、必ず助役のところに持っていくから後で出てくる。金が盗まれるなんて全く考えもしなかった。そんな雰囲気の職場だった。
もう一つは、脱落者に対して香典返しなど惰性の関係を断ち切ったこと。心を鬼にして対決し切ったこともよかったかな。国労に戻すことで、脱落した人間も幸せになると言い続けた。絶えず組合員を集めて集会を開いた。放置しておけば一人二人と脱落者が出て、それこそ過半数になれば全部持っていかれる。そんな危機感もあった。国労がなかなか減らないものだから、当局は助役を引っぱって来て国労つぶしをはかった。東京鉄道管理局内の十七電車区の中で、応援の助役が入ったのはうちだけだった。
家族の力も大きかったと思う。分会として家庭訪問を行うとともに、マル生の前から家族に職場の様子を見てもらうような取り組みもやっていた。湯沸かし器の設置は奥さんたちから「こんなに体が汚れるのにお湯も使えないの」と言われ、要求化することを決めたんだ。家族の不満や意見を聞く家族交流の場も設けた。「毎日、帰りが遅いんだ」とぐちが出る。「おたくも?」って他の奥さんも相づちを打つ。組合の役員は執行委員会の後みんなで酒を飲んでいるといった話をすると、みんなホッとしていた。
分会独自で運動会も開いた。家族にとっては楽しみなんだ。小学校を借り、教宣部長が中心になって準備した。うちの分会で始めてから他の地区でもやるようになった。こんな様々な取り組みが、攻撃をはね返す力になっていたと思う。
(国労闘争団員)