「大量破壊兵器を隠し持つ危険な国」―米国がイラク攻撃を正当化する理由だ。同じくイスラエルがパレスチナの軍事占領を続けている理由として「自爆テロへの報復」をあげる。それらの理由がいかにまやかしであるか。昨年、六月にパレスチナ、十二月にイラクを訪れ、あらためて実感した。あたりまえの生活を求め、重苦に耐える人々の姿を通して問い直してみたい。(T)
「危なくなかったか」
イラク国際市民調査団の報告をする機会に、各地でこう問われた。「米国さえ撃たなければ危険はない。むしろ、いつ撃たれるかもしれないパレスチナのほうが危険を感じた」と答えている。だが、この答えは正確ではないと思っている。危険の程度など比べようもないからだ。
街角で出会った笑顔(12月19日・バグダッド市内)
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「何か悪いことをしたのか。なぜ攻撃されるの」。イラクでも、パレスチナでも何度となく聞いたことばだ。自分には何の落ち度もなく、殺され傷つけられる人々。肉親を失った家族の悲しみ、悔しさにかわりはない。
米国の二重基準
パレスチナ自治区・ジェニンの虐殺現場を見た。イスラエル軍に攻撃されてから二か月経っていた。ブロック作りの家は、何百棟という単位でミサイルとブルドーザで破壊され、踏みつけられた。犠牲者の数は数十人と言われているが、瓦礫に埋まったままのもの、イスラエル軍が持ち去ったものなど、正確にはわかっていない。
イスラエル軍による虐殺の証拠「車椅子」(2002年6月・ジェニン)
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玄関と思われる正面二階の壁につぶれた車椅子がかかっている家があった。全壊は免れたものの横の壁は壊され、部屋の中が見えている。なぜ車椅子が二階にあるのか。何が起こったのか。ずっと気になっていた。
最近、この家の重度の身体障害者(37歳)が生き埋めにされたことを知った。イスラエル兵は、母親や姉妹を救出に向わせ、部屋に入ったところを見計らって、ブルドーザで家ごと潰しにかかった。瓦礫から見つかったものはつぶれた車椅子だけ。遺体の形はなかったという。
「自爆犯のいたキャンプ」という一言で、虐殺・虐待の限りをつくすイスラエル。圧倒的な軍事力でパレスチナ民衆を踏みつける構図がよみがえった。米英軍が勝って気ままに空爆を繰り返すイラクと重なった。
米国は、イラクが湾岸戦争後十二年間、国連決議に反し大量破壊兵器を開発・製造してきたと何の根拠も示すことなく非難する。ところがイスラエルが五十五年間、国連決議を踏みにじり、パレスチナに軍事侵攻し、占領していることについては、非難するどころか援助を与えさえしている。あまりにもひどい二重基準。アラブの人々が米国も国連もまったく信用に値しないと思うのは当然のことだ。
人情豊かな人々
イラク南部の都市バスラの街を歩いた。イスラム社会では酒は飲まないのだが、酒屋は何軒もあった。
バスラ市内の八百屋。活気にあふれていた
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店先で飲める。店の主人に呼び止められた。客が二人いた。店主は紙に「一、二、三・・」と声を出して漢数字を書き出した。得意気な表情を見せた。客も陽気に茶化している。
「ビールはどうだ。ウイスキーはバグダッドより安いぞ」と商売が始まった。「地ビールはないか」と聞いてみた。あるはずがないと思っていたが、あった。一本、七百五十ディナール(約四十五円)。ビンを返せば二百五十ディナールかえって来る。公務員で月収八千ディナール程度。これでは庶民は買えない。
野菜や果物が山積みになった八百屋の店主と陽気に言葉を交わした。映画館では欧米のフィルムも上映される。ゲーム・センターには、格闘技やサッカーのテレビゲームに夢中になっている若者がいた。家電商店が軒を並べる電気屋街には日本製のテレビゲーム機が積まれていた。ファーストフードの店内にも若者が集まり談笑している。夜の七時頃だった。洋品店は閉まっても、街はまだまだにぎやかだ。
これが、アラビア湾の米空母から百キロメートル程度の距離にある街だ。「悪の枢軸」と悪罵を投げつけられる国に暮らす人々は、ごく普通に生活をしてる。家族を大切にし、困ったときも親戚や隣人同士助け合う人情豊かな人々だ。この街を廃墟としていいはずがない。
今も続く空爆による犠牲、劣化ウラン弾による放射線障害、経済制裁による医薬品不足・医療費の高騰。人々の苦しみのすべては、米国によってもたらされたものだった。
犠牲は子ども・民衆
一月十八日、世界三十八か国の人々がイラク攻撃反対の声をあげた。マスコミも、少しずつではあるが報道しはじめた。だが、情報や視点は侵略する側からのものに偏っている。殺される側の人々の声や姿は、まだまだ隠されたままだ。
パレスチナでは、イスラエル軍の虐殺・虐待がエスカレートしている。イラクでは、何十人もの子どもたちが毎日ガンで死んでいく。わずか数日の滞在で、人々の苦しみがすべてわかるものではない。だが、戦争の犠牲者は間違いなく子どもや民衆だ。これ以上米国の勝手にさせてなるものか。手を貸す日本政府を止めねばならない。
戦争で「正義」など実現するはずがない。街で出会った、あたりまえの生活を望む人々の姿を決して忘れてはならないと思う。 (終)