何の道理もない戦争脅迫を受けるイラク。第二次国際市民調査団(団長・ジャミーラ高橋千代さん)は、米国の攻撃を止めようと二月十七日からイラク現地に入った。ミサイルを突きつけられた人々はどんな思いで過ごしているのか。普段どおりの日常を精いっぱい生きている人々の姿を伝えたい。(T)
「こんなに毎日楽しくていいのでしょうか」
世界各国の参加者がピース・ランに出発(2月19日・バグダッド)
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市民調査団のメンバーはそんな実感をもった。出発前には、もしものことまで考えた。空港でマスコミから取材を受けたとき「生きて帰ってきます」と答えた人もいた。だが、イラク国内で見聞きしたものは、陽気でにぎやかな人々の姿だった。街の表情からは、戦争間近という緊迫感はほとんど感じられなかった。
このギャップを生み出したもの何か。”戦争不可避”のみを繰り返す情報操作に踊らされてはならないとあらためて思う。
世界各地から参加
バグダッドでは、二月十九日から二十一日にかけて「イラク攻撃に反対する国際学生青年会議」(主催・非同盟学生青年機構ほか)が開かれていた。四十以上の国々から約四百人の海外参加者があった。市民調査団の三十人を含め、日本からは約八十人。海外参加国のうち、最大だと聞いた。
イラクの学生と共に国連事務所へデモ(2月18日)
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市民調査団は十八日のプレ企画から参加した。午後、国連事務所へのデモがあった。バグダッド市内の高校生・大学生・教員を中心に海外参加団も含め千人以上の人々がチグリス川沿いの道アブヌワズ通りを埋めた。昨年十二月に第一次市民調査団が横断幕を広げた場所だ。今回もその時の横断幕を広げた。今度は多くの人々と一緒だ。調査団としたまとまりはできなかったが、にぎやかで楽しいデモにそれぞれが浸った。
夜は主催者の一つ、イラク学生全国連合(NUIS)が夕食会をかねた「文化の夕べ」を催した。北部地方に住むクルド人の衣装を身につけた女性と南部地方の民族衣装を着た青年が輪になって踊る。手拍子と歓声は会場にあふれた。市民調査団のメンバーも軽快な音楽に誘われ、思わず踊り出す。踊りの輪は大きくなる一方だった。
十九日の夜には、メソポタミアの歴史をたどるファッションショーまであった。
「楽しいことは永遠に続く方がいいじゃない」。団長のジャミーラさんは、心からうれしそうな笑顔を見せた。
明らかな大量虐殺
バグダッドから高速道路を南下した時、道路脇に土を盛り上げて、頂上を土のうで囲った土饅頭のようなものを数多く見かけた。在日イラク人で、市民調査団のガイド役、アリ・イスマイリーさん(34)が銃座だと教えてくれた。半年ぐらい前から増えてきたという。これが、戦争を前にした”準備”なのだろうか。
構築中のものを見かけた。数人の男たちが作業をしている。軍人ではない。どう見ても近所の男たちだ。あたりには何もない。
なぜその場所につくる必要があるのか、理解しがたい。作戦上の必要性というより、まるで失業対策か、あるいは戦意昂揚のために地域の共同作業として取り組んでいるかのような印象を受けた。
検問所を見かけた。「徴兵逃れの摘発だ」とアリさんは言った。イラクでは十八歳の青年は四年間兵役の義務がある。大学生は二年間、大学院生は半年だという。「十万円ぐらい出せば、免除される」そうだ。
昨年十二月には、検問所はあっても人はいなかった。検問しなければいけないほど、徴兵逃れが増えているのか。だが、検問所の雰囲気は和らいでいた。緊張感はない。誰も好き好んで銃など手にしたくない。
道路沿いにいくつもの駐留地が点在する。四隅にはトーチカがあるが、見えるのはたった一丁の旧式機関銃だった。戦闘機どころか地上戦にさえ役に立つようなものではない。このような街に誘導ミサイルや劣化ウラン弾という名の核兵器を何千発と撃ち込むことなど、まさしく大量虐殺でしかない。このような蛮行が、許されていいわけがない。
フセイン大統領は「大量破壊兵器禁止」の布告を出した。いっそのこと武装放棄を宣言し、世界の民衆を味方に付けた方が、何倍も役に立つことだろう。二月十五日、世界の民衆は戦争反対の声を一つにしている。「無防備宣言をすべきだ」。一人バスの中で叫んでいた。
見たくない死の行進
もし戦争が起これば・・・(2月21日・閉会集会セレモニー)
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会議には、多くの大学生がスタッフとして運営にあたっていた。通訳兼ガイド役のディアさん(22)に、米国支持に回っている日本について聞いてみた。「政府と国民は違う。米国民とも友達になれる」とにっこり笑った。
第一次調査団の時にも、何人もの人々から聞いた言葉だ。世界各地から若者が集まり、友好と連帯を深めている。米国からも英国からも参加している。そんな姿を見れば納得できる。
友人であるはずの若者たちを殺す側と殺される側に隔てさせるものは誰だ。「戦争中毒」にかかった者たちの狂気の沙汰を許してはならない。
会議の閉会セレモニーに、子どもたちが寸劇で訴えた。忘れられないシーンだった。小さな子どもが遺体となって、数人の女学生にかつがれ、運ばれていく。全身から力が抜け、手足とともに首がだらりと下がっている。幾人も幾人も列が続く。官製の劇であるには違いない。しかし戦争となれば、現実に起きるかもしれないそのシーンに、胸が締め付けられた。こんな姿は絶対に見たくない。 (続)