いつ、爆撃に遭うか。ミサイルに狙われているイラクの人々は日々、恐怖と不安にさらされている。第二次イラク国際市民調査団(団長・ジャミーラ高橋千代さん)の一員として現地を訪れたとき、思わぬ結婚式ラッシュに出会った。人々の生活に落ちた戦争の影なのかもしれない。(T)
砂嵐の季節に
砂嵐のバグダッド市内(2月20日)
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「さあみなさん。歌いましょう」
市民調査団をのせたバスは、二月十七日、シリア国境を越え無事イラクに入った。通訳兼ガイド役のアリ・イスマールさん(34)は、はしゃいだ。
「みんなで / 止めよう / イラク攻撃 / 止めよう」
口をついて出てきたのは、平和集会で歌われている『聖者の行進』の替え歌だ。バグダッド大学を卒業後、日本に移住したアリさん。今回、七年ぶりの帰国となる。アリさんがはしゃぐにはもう一つ理由がある。この市民調査団の訪問日程にあわせて、自分の結婚式を挙げることになっているからだ。
イスラム社会では金曜日が休日。週末にあたる木曜日の夜は、最も楽しいひとときだ。普段から結婚式が多く行われていた。
二月二十日の木曜日。宿泊していたホテルにも続々とカップルがやってきた。式や祝いを自宅で済ませ、ホテルに行くのが流行だという。家族や友人も押し掛けていた。どのカップルも日本で見かけるウエディングドレスにスーツ。アラブの伝統衣装を着ている人はいない。
アリさんの結婚式も、この日の夜、自宅で行われることになっていた。
その日は朝から薄曇り。と思っていたら、午後になって、数十メートルの視界も確保できない砂ぼこりにみまわれた。”ハムシーン(砂嵐)”だとわかった。ハムシーンとはアラビア語で五十のこと。五十度にもなる砂漠の熱砂が砂嵐となるからとも、五十日間続くからとも聞いた。幸いその日のハムシーンは、一日限りであったし熱風でもなかった。
ただ、防砂林の役目をしていたヤシの林が湾岸戦争時の爆撃や経済制裁の物資難の中で破壊・伐採されたため、都市部に及ぶ砂の量は以前にもまして増えたという。ホテルに停めてあった車は、砂ぼこりにまみれていた。この砂に、劣化ウランの微粒子が紛れ込んでいないとも限らない。
昨年十二月、第一次市民調査団として訪れたイラク南部の都市バスラ周辺の風景を想った。劣化ウラン弾が集中して撃ち込まれたクウェート国境近くの砂漠。建材用の砂を採り、ビニールハウスでトマトを栽培していた人々の姿。病院で出会ったガンに苦しむ子どもたち。奇形児の写真。
イラクのカップルにとって、環境は厳しい。避妊や中絶をする夫婦が増えていることもバスラの病院で聞いた。
総勢百人の宴
日本からの来客、国際市民調査団に祝福されるアリさん夫妻(2月20日・マハモディア市)
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アリさんの自宅は、バグダッド市から南へ約三十キロ。人口約五万人のマハモディア市にある。高速道路を使い車で三十分以上かかる。アリさんが学生の頃、毎日通った道路脇には、新たに塹壕ができ、検問が行われていた。
一行がアリさんの自宅についたのは、夜の九時半を回っていた。前の道路は三十メートルほどの広さがあり、八百平方メートルほどの敷地の家が整然と並ぶ高級住宅街の様相だ。二階建て三LDKの家は、すでにどの部屋も兄弟や親戚の人々で満杯だ。歌や踊りの輪の中へ、市民調査団も加わった。総勢百人ぐらいにはなっただろうか。アリさんのいとこ、ニドハム・アディルさん(30)は女性十人、男性一人の兄弟姉妹の長女。いまだ独身だ。「どんな人が望みですか」と水を向けると、「できれば日本人」とにっこり笑った。
最高のプレゼントとは
式といっても、ウエディングケーキを二人で切り、アリさんから金の指輪をプレゼントしておしまい。あとはいたる所で談笑の輪ができ、歌や踊りで大騒ぎ。市民調査団メンバーの『森の熊さん』や即興の踊りに爆笑。人々の喜びが爆発していた。その間にアリさんは花嫁の実家にお礼のあいさつに出向いていた。
花嫁は、ナガムさん(24)。バグダッド大学で知り合った。病院勤務の医者をしながら、七年間待った。近くアリさんと一緒に日本で生活する。イラクにいればアリさんは徴兵される。ナガムさんの医師免許は日本では通用しない。
家族のつながりがことのほか強い社会にあって、日本に離れることに家族は反対しないかと聞いた。「戦争の始まる前に、はやく式を挙げ日本に行きなさい」と言われたという。
例年、イスラム暦の新年を迎える前に結婚式が集中する。「戦争が引き起こされる前に」という人々の願いが痛いほどわかる。
新たな門出に立つ二人への最高のプレゼントは、米軍の攻撃を断念させること以外にない。 (続く)