2003年06月13日発行792号

【教育基本法改悪が狙われる理由 / 戦争遂行支える人材づくり / 「人殺し国家」でも愛せよ】

 教育基本法を改悪する動きが進んでいる。「改正」法案をめぐる与党内協議は難航中と伝えられているが、自民党は今国会中の法案提出をめざしており、事態は予断を許さない。いまなぜ「教育基本法の見直し」なのか。そこには戦争国家を支える人材づくりの意図が込められている。

「不当な支配」狙う

 教育基本法改悪の動きは、ことの重大性の割には知られていない。世の親たちはおそらくピンとこないのではないだろうか。

 実際、日本PTA全国協議会が行ったアンケート調査によると、小中学生の親の84%が教育基本法の内容を「よく知らない」と答えている。「本文を見たことがない」という人が43%もいた。世論の関心がこれほど低いようでは、議論らしい議論もないまま「改正」案が成立した、ということになりかねない。

 そこで、まずは教育基本法の何たるかについて確認しておこう。基本法というぐらいだから、教育基本法は教育のあり方を定めた「教育憲法」というべき法律である。それは戦前の軍国主義教育の反省から生まれた。

 教育は国家目的達成の手段ではない、特定の価値観を注入する装置ではない−−そうした教育基本法の理念は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」という第十条の条文に示されている。

 その教育基本法を政府・自民党は変えたいと言う。理由は明白、「不当な支配」を行うためである。彼らの「教育改革」を断行する上で、教育基本法が公権力の介入を禁じたままでは具合が悪いのだ。

 では、政府・自民党および独占資本は教育に何を求めているのか。一言で言うと、戦争国家を支える人材の育成である。教育基本法「改正」論者が、「愛国心」や「日本人としての自覚」の涵養を条文に盛り込め、と主張しているのはこのためだ。

グローバル化に対応

 もっとも、政府・独占資本は単純な「戦前回帰」を望んでいるのではない。天皇のために死ぬことを当然視する教育勅語の思想が今の国民に受け入れられるとは彼らも思っていないし、その必要もない。このことは「愛国心」が最も必要とされる事態、つまり戦争の今日的な形態を考えればわかりやすい。

 イラク戦争が示しているように、現代の戦争はハイテク兵器を駆使した一方的な破壊と殺戮に終始する。攻撃する側は傷つかないし、市民の犠牲もまずない(米国がそう)。日本政府が有事法制の確立によって参加しようとしているのは、こうしたグローバル資本主義の戦争である。

 多国籍独占資本の利害のために行われる戦争、国際法にも人道にも反する戦争−−そうした国家による殺人を「国益を守るためだから」と承認し、「ぼくも日本人だから」と戦争政策に協力する。政府・独占資本が国民に求める「日本人としての自覚」とはこのことを言う。

 一般市民に「死んで護国の鬼となれ」とまでは言わないが、戦争ともなれば善悪の判断を停止して国策に従ってもらう、「日の丸」の下に団結せよ、というわけだ。

国民意識改造計画

 教育を通じた「愛国心」の注入には、新たな形の国民統合を図るという狙いもある。

 小泉内閣の「構造改革」路線は大多数の国民に生活破壊をもたらす。グローバリゼーションの恩恵を受ける者は国民のごく一部でしかない。

 今やかつての企業社会的な国民統合は崩壊した。このまま国民の階層分岐が進み、対立にまで発展するようなことになれば、戦争政策などおぼつかない。大企業と利害を同じくする一部エリートの支持だけで戦争を遂行することはできないのである。

 そこで新たな国民統合の軸として「国家」が浮かび上がってくる。「構造改革」の被害をこうむる国民大多数の不平や不満を「みんな同じ日本人、運命共同体だ」という論理のもとに吸収し、戦争という国策への支持にまとめあげる。政府・独占資本の言う「愛国心」とは、そのためのイデオロギーなのだ。

 すでに「愛国心」教育の強要は学校現場に及んでいる。「日の丸・君が代」の法制化、「つくる会」教科書の検定合格、「愛国心」を評定する通知表の登場、等々。教育基本法が改悪されたならば、そうした教育の国家主義的再編が大手を振って推進されることは目に見えている。

  *   *   *

 コンピュータはハード、システム、ソフトの三つがあってはじめて機能する。戦争国家も同じことが言える。ハードは軍備、システムは有事法制などの法的整備、そしてソフトは国民意識にあたる。

 教育基本法の改悪は戦争国家づくりにむけたソフト面の整備、つまり国民意識改造計画の重要な柱なのだ。教育を戦争遂行の道具にさせてはならない。      (M)

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