ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2003年06月27日発行794号

『もう一つの主体−人権NGOの活躍』

P> これまで世界人権宣言に始まる国際人権法の形成を駆け足で見てきたが、そこでは国連総会が多くの人権条約を採択したという事実しか取り上げられなかった。いくら人権条約がつくられても、それだけで世界の人権状況が変わるわけではない。むしろ、人権条約の実際の効力を吟味しておく必要がある。

 人権条約の実際の効力を見るには、第1に、条約上の義務である報告書の提出および委員会による審査と勧告の実際はどうなっているのかが重要である。第2に、締約国が国内において人権条約をどのように履行しているかも重要である。いずれも国家政策が問題になるから、国際人権法といっても「なんだ国際法の主体は国家なのか」と思われるかもしれない。確かに、2つの国際人権規約もその他の人権条約も、国家群の集合体である国際機関が採択し、国家がこれを批准して、国家の義務として報告書を提出し、委員会の審査を受けるという意味では、その手続きの主体は国家である。

 しかし、国家だけが手続きの主体となるわけではない。それぞれの委員会は人権法の専門家である。

 さらに、ここに登場するのが人権NGOである。NGO(non-governmental organization 非政府機関)という言葉は日本社会ではあまりなじみがなかったが、2002年1月に東京で開催されたアフガニスタン復興支援国際会議の際に、鈴木宗男汚職国会議員が特定のNGOに不当な圧力をかけたことが発覚し、政治問題となったことで、一気にNGOという言葉がメディアに流通することになった。それ以来、NGOとは何かを説明するのが比較的容易になったのは「ムネオ・ハウスの功績」といえようか(もっとも、そのNGOは財政のほとんど全額を日本政府が出資している組織で、NGOというよりも日本政府の外郭団体であった印象が強い)。

 ちなみに、国連はもともと「連合国(United Nations)」である。国際連合というのは訳語ではなく、日本外務省の「創作」である。連合国と戦争をして敗れたうえ、連合国に占領統治された日本が、戦後になって「連合国(The United Nations)」に加盟したのだが、同じ連合国という用語を避けて国際連合としたのであろう。

 その国連において、国連総会や安保理事会は国家の独壇場であるが、経済社会理事会はむしろNGOの参加を奨励してきた。そこで経済社会理事会は、一定の要件を満たしたNGOに協議資格を認めてきた。協議資格のあるNGOは、国連人権委員会や人権促進保護小委員会に参加してロビー活動を展開することができる。また、協議資格のないNGOも、各種の人権条約の委員会に参加したり、世界会議に参加することができる。人権、人道、医療、食糧支援、教育などの分野では、各種のNGOが多大の活動をしてきた。国際社会の枠組みや国際人権の展開は、今やNGOの存在抜きに語ることができない。

 国家でも国際機関でもない、ヴォランティアの個人の集合体であるNGOが、現代国際社会の不可欠の存在となり、国際法に確かな地歩を占めている。人権規範の設定や、人権条約の履行や、人道支援の現場で、誰から命じられたわけでもなく、何ら特別の権限もなく、人権法と人道法の価値と理念を実現するために活動するNGOが飛躍的に増加している。

 

 

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