2003年3月17日から4月25日にかけて開催された人権委員会59会期の様子の一端を紹介していこう。筆者は3月27日から4月12日までジュネーヴに滞在して、NGOの日本友和会メンバーとして人権委員会の一部に参加した。
国連憲章68条は経済社会理事会に「人権の伸張に関する委員会」を設置することとしており、これに基づいて人権委員会(Commission on Human Rights)が設置された。自由権規約に基づく自由権委員会(Human Rights Committee)とは異なる委員会である。
人権委員会は、例年春にスイスのジュネーヴにある国連欧州本部の会議室で開催されている。国連欧州本部はかつての国際連盟の建物で、パレ・デ・ナシオン(諸国の殿堂)とも呼ばれるが、人権委員会は第2次大戦後に増設された新館で開催されている。人権委員会構成員は、国連加盟国から選挙で選ばれた53国の政府である。人権委員といっても政府代表である。現在、東アジアでは中国、日本、韓国が委員に選出されている。委員以外の国連加盟国や、各種の国際機関・専門機関代表も参加し、協議資格を認められたNGO代表もオブザーバーとして参加することができる。日本友和会は国際友和会日本支部であるが、日本友和会自身が経済社会理事会の協議資格を取得したので、日本友和会メンバーは正式手続きをとれば人権委員会に参加できる。
委員会開始直後の3月20日に米英軍のイラク侵略が始まったため、人権委員会59会期の前半はイラク攻撃問題が最大の話題であった。
国連欧州本部に着くと、警備がいつもより厳しくなっていた。人権委員会には各国大使が参加するし、しばしば各国大臣やその他の高官たちも出席する。人権委員会会場入口では金属探知機による荷物検査が行われる。ユーゴ爆撃のときも厳戒態勢だったが、今回はそれに次ぐ厳しさだったように思う。ちなみに、国連欧州本部から徒歩5分のアメリカ政府代表部も非常に厳しい警戒態勢を布いていた。
人権委員会では、イラク政府代表が連日のように激しい口調でアメリカによる侵略を非難していた。毎日、最新情報を紹介して、どれだけの民間人が虐殺されているかを報告していた。キューバやシリアが時々応援の発言をしていた。そして3月27日、アラブ諸国は「イラク問題を人権委員会の特別セッションとして議論する」という提案をした。ところが、イラク攻撃には反対したフランスやドイツも含めて、過半数の委員国がこの提案に反対したために、決議は採択されなかった。反対理由は日本政府発言に典型的に現れている。すなわち「イラク問題は安保理事会で議論する問題だから、人権委員会で議論するべきではない」という。アメリカが発言するまでもなく、人権委員会は米英軍によるイラク攻撃に口を閉ざしたのである。それでもイラク代表は連日、アピールを繰り返していたが、フセイン政権崩壊後、イラク政府代表席は空席が目立つようになった。
人権委員会は、先に紹介した人権条約の草案を作成してきた機関であるが、その名称にもかかわらず、もともと国連外交の舞台である。人権や国際法の論理が貫徹するとは限らない。国際平和と安全の維持は安保理事会の任務とされているため、経済社会理事会のもとにある人権委員会が果たしうる役割はごくごく小さくなってしまう。人権委員会は具体的な人権問題を取り上げるのではなく、人権に関する国際水準を検討し、人権文書を策定することが主要な任務とされてきた。
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