国連人権促進保護小委員会(以下「人権小委員会」)55会期は、2003年7月28日から8月15日まで、ジュネーヴの国連欧州本部(パレ・デ・ナシオン)で開催された。土日は休みなのと、8月1日はスイス建国記念日で休日のため、14日間の日程である。筆者は7月30日からジュネーヴ入りして、31日から最終日まで、NGOのアジア女性人権評議会(AWHRC)の代表として参加することができた。AWHRCは、マニラ、バンコク、ニューデリーに支部をもつ女性人権団体であり、国連経済社会理事会の協議資格をもっている。そこでこれまでも何度もマニラ事務局のネリア・サンチョさんに依頼して、AWHRCの資格で国際人権機関に参加してきた。今回もインド事務局のマドー・ブーシャンさんに参加手続きをお願いした。
人権小委員会での日本関連NGOの最大関心事は、日本軍性奴隷制問題である(本連載12回以下参照)。1992年春の人権委員会に最初の報告がなされて以後、人権小委員会でもこの問題は継続的に取り上げられてきた。1993年の人権小委員会ではテオ・ファン・ダ ボーベン「重大人権侵害被害者の補償・リハビリテーションの権利」特別報告書が採択された。ファン・ボーベン報告者は、1992年の戦後補償・東京国際公聴会や、1994年の国際法律家委員会(ICJ)・東京シンポジウムにも参加して、継続的に日本軍性奴隷制問題を報告した。1994年の人権小委員会では、リンダ・チャベス「武力紛争時における組織的強姦・性奴隷制」特別報告者が任命された。チャベス報告者は1995年にNGOの招聘で訪日調査し、1996年報告書で4つの戦時重大性暴力事件の一つとして日本軍性奴隷制 を取り上げた。チャベス特別報告者の後任のゲイ・マクドウーガル特別報告者は、1998年に画期的な報告書を提出した。全体で61頁ある報告書のうち26頁が日本軍性奴隷制に関する国際法の解釈論であり、奴隷の禁止、戦争犯罪、人道に対する罪であることを確認した。
マクドウーガル特別報告者は1999年に日弁連の招聘で訪日調査し、ソウルでも調査し、2000年には「アップデイト報告書」において、問題が未解決であることを指摘した。1999年の人権小委員会では、「戦時組織的強姦・性奴隷制の被害者がもつ権利は、国際法上は、時効にかからず、恩赦や国家間条約で消すことはできない」という決議を採択した。この問題で「時効である」とか「サンフランシスコ条約や日韓条約で解決した」と主張してきた日本政府には大きなダメージとなった。2001年には、日本の戦争犯罪を隠蔽しようという「歴史教科書問題」が報告されて「戦時性暴力の再発防止のため歴史教育で教えるべきである」という決議が採択された。2002年も同様に歴史教科書問題と首相の靖国神社参拝問題が人権小委員会で話題となった。
こうした一連の動きに応じて人権小委員会や特別報告者に情報提供し、特別報告者を招聘し、人権小委員会への報告書作成に協力し、人権小委員会での新しい決議を求めて活動してきたのが日本関連NGOである。
人権小委員会は特定の政府を非難するための場ではなく、人権に関する理論的研究や、人権文書の作成や、人権委員会への勧告をする場であり、特定国の名をあげた批判決議をすることはできないが、誰が見てもこれはこの国のことを意味していると読める決議がある。日本軍性奴隷制に関連する決議もその一つである。2003年の人権小委員会55会期においても同様のNGO活動が展開された。次回からその一端を紹介する。また、性奴隷制問題以外にも日本関連のNGO発言等がなされているので、それも紹介したい。