占領下のイラクからは毎日のように米兵への襲撃事件が伝えられている。だが、はるかに多くのイラク民衆が米軍によって虐殺・虐待など日常的な人権侵害を受け続けている事実はほとんど知られていない。占領反対の闘いを進めるためバグダッドに開設されたOWC(占領監視センター)を九月十七日から二十一日にかけて訪ねた。「戦闘終結宣言」から百四十日、イラクにおける戦争犯罪は日々繰り返されている。 (豊田 護)
頻発する「爆発」
「タッタッタッタッタッタ」。遠くで鉄材を叩くような音がした。ロビーで談笑していた米兵が突然、銃を手に走り出した。
ホテル前で車を捜索する米兵(9月20日・バグダッド)
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九月二十日、午後四時ごろ。OWCのスタッフとともにパレスチナ・ホテルのロビーにいた時のことだ。
「ズキューン」
銃声だ。今度は近い。防弾チョッキを着たテレビ・クルーが何組も飛び出していく。表では、米兵が一台の乗用車をあらためていた。イラク人が数人米兵に抗議している。誰が誰を狙ったのか。米兵にマイクを差し出す報道陣にもつかめていない。
こうした事件は日常化しているのか、誰も驚かない。その日の朝も、市内を東西に走るハイウェイで爆発事件があった。その前の日には、パレスチナ・ホテルから数百メートル離れたUNDP(国連開発計画)の事務所近くで爆発があったところだ。
鉄条網と壁
ほんの四か月前、パレスチナ・ホテルの玄関には、外国メディア目当てに缶ビールやウィスキーが積み上げられ、にぎやかな雰囲気だった。ところが今回は、「IP」(イラク警察)の腕章をつけた警察官が座っている。ホテルの周りには二重三重の鉄条網が張り巡らされ、近ずくにも、荷物検査・ボディチェックを受けなければならない。
バグダッド・ホテル前のコンクリート壁
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街を行けば、占領軍が居座るところは直ぐにわかる。そこは必ず鉄条網で囲われているからだ。目抜き通りに面したバグダッド・ホテルにはさらに堅いガードがあった。高さ三メートルほどのコンクリート壁が正面をふさいでいた。多くの男たちが銃を手にして立っている。聞いても「プライベート・ゾーンだ」と、立ち入りや写真撮影も許さない。背中に「セキュリティ」と書かれたユニホームを着ている。首には占領軍が出した武器携行許可証がぶら下がっていた。
CPA(占領当局)関係機関が入っているらしい。ガードしているのは「ミリタリー」だと聞いた。
鉄条網とコンクリートの壁。人をよせつけない風景に、街は一層荒れた感じがする。
優先される占領政策
そんな街中で、こぎれいに修繕された建物があちこちで目についた。銀行だった。統治評議会の財務相は二十二日、石油部門を除き、イラク企業の保有を外国資本に認める「経済自由化政策」を発表した。銀行も対象だ。街角で「イラク企業に投資をしないか」とスーツ姿のイラク人に声を掛けられた。
停電は今も続き、電話は不通のままだ。病院は多くが閉鎖され、WHO(世界保健機関)の事務所となっている。
いま占領軍は、民衆の生活基盤を破壊したまま、自らの身を守ることと資本に自由を保障することへ邁進している。
そんなバグダッドで民衆の怒りの叫びを聞いた。理由もなく青年が米軍に射殺された。住宅地で白昼、車ごと焼き殺された家族もいた。深夜、家を襲われ金品を奪われた一家があった。証拠もなく連行され、数か月も拘束されている人々が万単位でいる。大人だけでなく子どもたちまで、空港に急増されたテントに収容されている。すべてが今も続く米軍の戦争犯罪だ。
九月二十二日、夜明け前にバグダッドを離れた。地元英字新聞が「最も危険な場所」とするラマディ地域を暗闇の中で通過する。「大丈夫だ。その新聞の発行者を見ろ。イラク人じゃないだろう。連合軍の情報さ」。通訳兼ガイドとして協力してくれたハルブさんはそう言って送り出してくれた。確かにそうだ。米軍に対する抵抗闘争が最も激しいラマディは、米軍にとって「危険な場所」であるに過ぎない。
車中、数日間の滞在で見聞きしたことが思い出された。息子を殺された父親が嗚咽する姿が浮かぶ。夜の闇は、夜明け前が一番深いという。だが、明けない夜はない。月並みながら、そう願わずにはいられなかった。(続く)