2003年10月17日発行809号

占領下のイラク 今も続く戦争犯罪(3)

【米軍発砲で一家4人が死亡 / 「この責任は誰がとるんだ」】

 イラクの法秩序は、全く機能していない。政府が崩壊したからだけではない。占領軍という無法者が暴力で社会を支配しているからだ。繰り返される米兵による殺人を、イラクの人々は法で裁くことができないでいる。八月、一度に六人が殺された事件があった。その現場に出向いた。(豊田 護)


住宅街の惨劇

 バグダッドの北部、サッラア地区は閑静な住宅街だった。八月七日、この地区で続けざまに三家族六人の人々が米第一装甲師団の銃弾の犠牲になった。

姉家族を襲った悲劇を語るじゃワードさん
顔写真

 「夜の九時十分ころだった。『撃たれた』とけがを負った姉が知らせに来た。『また撃たれるかもしれない』と姉は言ったが、その場に行ってみた。米兵がいて近寄らせなかった」

 サイル・カードゥム・ジャワードさん(37)は、姉家族を襲った惨劇を話し始めた。

 アル・カワス一家は車で帰宅の途上だった。米軍のパトロール部隊に遭遇、銃撃を受けた。家の近くだった。

 バグダッドは、夜十一時から翌朝四時まで外出禁止令がしかれている。まだ、その時間にはなっていない。銃撃を受ける理由など、まったくなかった。

 父親のアデル・アブドゥル・カリーム・アル・カワス(48)、大学生のハディル(18)、中学六年のオーラ(16)、そしてメルビット(8)が死んだ。十三歳の娘と身重の母親は重傷を負いながらも助かった。

負傷した者を留置

 家の前に車があった。窓ガラスは粉々だった。フロントガラスには四つの穴があいていた。ちょうど車のシートに座った人の顔や胸の位置に重なる。制止するためではない。最初から殺すことを意図したものだ。シートには血糊の跡が残っていた。

明らかに運転席を狙った銃撃の跡
写真:フロントガラスに3つの弾痕が残っている

 「父親が『けがした息子を病院へ連れて行ってくれ』と頼んだのに、米兵は銃弾で答えた。米軍は、まだ息のあった子どもたちを軍の施設に連れ去った。『面会はできない。治療し、なおったら家に帰す』と米兵は言った。だが、負傷者を一時間以上も留置し、殺してしまった。死亡証明書の死因欄は空白だった。『理由は聞くな』と米兵は言った」

 サイルさんは、この事件を告発し、書類を裁判所に持っていった。裁判官が言った。「この書類は、新しい政府ができるまで箱にしまっておこう」。警察にも行った。「政府ができたあと、この問題は話し合う」と同じだった。事件はこれで終わった。

 「米軍に言いたいことはないか」と聞いてみた。サイルさんは怒りをあらわにして言った。「おまえたちは四人を殺した。民間人を殺すために、はるばる海を越えてやってきたのか。われわれを解放したって?。一体この責任は誰がとるんだ」 あきらめ顔で言葉をつないだ。「メディアも来たし、弁護士も来た。彼らは何もできなかった。そうした決まりになっている。何もしないままさ」

 車に乗っていただけで、米軍に撃ち殺される。「自分の身に起きてもおかしくない」とガイド兼通訳のハルブさんは言った。

民衆が裁くしかない

 アル・カワス一家が殺された直後、友達と車に乗っていた二十一歳の学生が同じ米軍部隊に襲撃され、車ごと焼き殺されている。前後して三十一歳の青年も殺された。

 この一連の事件について八月十九日、法律家やNGOが記者会見を開き、米軍の戦争犯罪を調査するよう訴えた。マス・メディアは取材にきたが、ほとんど報道はされていない。

 「民衆法廷でブッシュを裁く」とイラク法廷の取り組みを話した。だが、サイルさんは無言だった。顔は悲しみに沈んだままだった。

 サイルさんをはじめ占領下に置かれたイラクの人々には、目の前で起こった犯罪を裁くことができない。まして民間人がブッシュを裁くことなどできるはずがない、そんな思いなのかもしれない。

 米英軍の蛮行を国連も各国政府も裁こうとしない以上、民衆の手で国際法を守らせる以外にない。    (続く)

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