イラクで日本人外交官が殺害された。米英軍の侵略に加担する小泉政権の犠牲者だ。マスコミは政府の責任を問うことなく「遺志を継ごう」と情緒的な報道を繰り返す。そんなマスコミが言う「人道・復興支援」は決してイラクのためではない。占領軍による「復興」などありえない。現地取材を重ねて、そう思う。(豊田 護)
「美談」に違和感
「日本人外交官死亡」のニュースに触れたとき、「ついに」と思った。現地取材を重ねるごとに、占領軍に対する怒りは激しさと広がりを見せていたからだ。「なぜ日本は米軍を支持するのか」「米軍の指揮下で動く軍隊は皆同じだ」。そんな声を聞いていた。占領政策を支える者として2人の外交官は命を奪われた。侵略に加担する小泉政権による犠牲者である。
だがどうだ。マスコミ報道には、この点を問うものがまったくない。なぜ占領軍に日本人外交官が派遣されたのかさえ問わない。その一方、故人の友人・家族関係など周辺情報に多くの紙面を割き、人柄の良さをもって、彼らの職務内容までも正当化しようとしている。
「これ以上、軍隊を送らないで」と訴える母親(9月21日・バクダッド)
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米軍復興人道支援室に派遣された奥参事官(当時)は、現地から「イラク便り」を送っていた。4月から11月末まで70回を超える。役人らしからぬ日記風の書きぶりを「あたたかい人柄」と持ち上げるものさえある。
米軍の蛮行に触れず
イラク南部の都市ナシリアでイタリア国家警察部隊が爆弾攻撃を受けた事件について書いた「イラク便り」(11月13日)には、「犠牲になった尊い命から私たちが汲み取るべきは、テロとの闘いに屈しないと言う強い決意ではないでしょうか」。派兵強硬論の産経新聞が社説で「遺言」だと表現したものだ。
この文には「この事務所の前を偶々(たまたま)通りかかった学校帰りの女子中学生4名も尊い命をテロリストによって奪われてしまいました」と巻き添えになった女生徒に思いを馳せたところもある。
ところが70本を超える「イラク便り」には、占領軍の犠牲となったイラクの人々について触れたものは、一本もない。岡本行夫・首相補佐官とともにイラク全土を回ったと胸を張る彼が見たものは一体何であったのか。
記者が戦争被害調査チームとして訪れた5月、いたる所で米英軍の攻撃による犠牲者の話を聞いた。
北部の都市モスルではミサイルで幼い子と胎児をなくしたマジドリーンさんの話を聞いた。南部の都市ナシリアでは、トラックの荷台から逃げ出そうとする子どもたちを米兵が撃ち殺したとカリールさんは話した。バグダッドの郊外では住宅地に転がるクラスター爆弾の残骸を見た。米英軍の戦闘による民間人犠牲者は7千人を超えていた。
兄を射殺した米軍に抗議する妹弟・友人
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9月の取材では、占領下で踏みにじられるイラク人の生命・人権の実態を見せつけられた。バイクで遊んでいたところを米軍に撃ち殺されたアハメッドくん。帰宅途中、車ごと焼き殺されたサイーフくん。市民の犠牲者はさらに2千人加わった。
もう軍隊を送るな
占領下で繰り返される虐殺・人権侵害がなぜ問題にされないのか。侵略軍の犠牲になった1万人近いイラクの民衆にも、日本の外交官と同じ生活があり家族があった。侵略者の統治機関の一部として働く奥参事官が目を向けないのは当然としても、マスコミが一貫して無視し続けるのには腹の底から怒りを感じる。
そんな視点から主張される人道支援・復興支援がいかに怪しいか。たとえ自衛隊が水を運び、病院を開設したところで、なぜそれが人道支援なのか。イラクの水道施設や医療システムを破壊した者の責任を不問にするだけのことではないか。
「イラクには医者もいるし、技術もある」。イラクで何人もの人々から聞いた言葉だ。他人の足を踏みつけておいて「何かお手伝いを」というのは偽善である。まず足をどけることだ。
朝日新聞は、12月1日付けの社説で「派遣の目的は人道支援や復興への協力であって、ゲリラやテロを制圧するためではない。占領の早期終結と主権回復が不可欠」と書いた。ならばなぜ占領軍即時撤退・自衛隊派兵反対と言わないのか。侵略される側・殺される側の視点が欠落したマスコミの傲慢な姿としか言いようがない。
「イラクのことはイラク人にまかせてほしい」「これ以上軍隊は送らないでほしい」。
米軍に子どもを殺された母親の声が、今も耳に残っている。