共和国宮殿で執務
11月29日、イラク北部のティクリート近くで殺害された日本人外交官二人は、イラク占領政策に深く関与していた。
殺害された奥参事官は、米英によるバグダッド占領直後の4月23日、在英日本大使館からORHA(米・復興人道支援室)に派遣された。井ノ上三等書記官も4月26日にORHAに赴任している。
ORHAは、米国防総省の一機関であり、イラク占領後に米軍政を行った占領機構だ。「戦後復興」と称して、グローバル資本のためにイラクの資産を売り飛ばす役割を担っていた。たとえば、石油省顧問団のトップとして英・オランダ系国際石油資本のロイヤル・ダッチ・シェル米国法人元社長をすえ、イラクの石油資源を勝手に売り渡した。
イラク派兵止めようと抗議行動(12月7日・東京)
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ORHAを吸収する形で、イラクの占領支配を引き継いだのがCPA(連合軍暫定占領当局)だ。奥参事官や井ノ上三等書記官ら日本人スタッフは、そのCPAが陣取る共和国宮殿に執務室を構え、米軍当局者との「連絡・調整」を任務としていた。
彼らはスタートから占領軍の一員としての活動、つまり憲法違反の活動を行っていた存在だった。
岡本首相補佐官は、奥参事官の死に際し「イラクのCPAからも絶対的評価を得ており、イラクにおける日本の評価は彼が一身で表してきた」と称えた。川口外務大臣も「二人が状況の把握に努め、走ったことが、イラクの復興支援で日本の役割を世界の中で知ってもらうモーター、運転者だった」とその役割の重要さに言及している。
外務大臣らが「絶賛」するほど二人は占領政策に深くたずさわっていた。その結果、イラクの民衆に敵対し、反占領の抵抗闘争の「標的」としての危険な立場に身をおくことになった。奥参事官自身「CPAに派遣されている日本人外交官はテロの対象だ」と脅迫を受けていたことを明らかにしている(12/1朝日)。
「国益」確保の先兵
両外交官はイラク占領・「復興」過程に日本政府が食い込むためにORHA、CPAに派遣され、日本の「国益」確保のための先兵の役割を担わされていた。
殺害された11月29日、二人はCPAが主催する「復興支援」会議に出席するため、イラク国内でももっとも反占領闘争の激しいティクリートをめざして車をひた走らせていた。現地では、同時に、イラク北部を対象とした政府開発援助(ODA)の事前調査を行う予定だったという。日本政府は今、ODAの目的から「人道援助」を削り「国益」のための「戦略援助」であると位置づけている。ティクリート民衆の抵抗闘争に対し、米軍の軍事力とあわせて、日本の札束(ODA)で封じ込めようというものにほかならない。
川口外務大臣は国会で占領当局への文民派遣について「日本国として、イラクの復興の早い段階から日本の考え方を反映させるため」と説明している(4/23衆院外務委員会)。二人の外交官はグローバル資本の利益を「国益」と呼ぶ小泉政権の外交戦略の下でイラク民衆に敵視され殺された。この責任は小泉こそ負わなければならない。
「派兵誘導」許さぬ世論
「殉職」を賛美し「二人の遺志」を「派兵支持」に誘導しようとの政府の姑息な狙いは、国民に見抜かれている。事件直後の共同通信の世論調査では、自衛隊イラク派兵に反対・慎重の意見が9割を占めている。「人道復興」を看板にした丸腰の文民でさえ敵視されるイラクに、重火器を備えた自衛隊が出兵すれば「殺し殺される」事態となるのは明らかだからだ。
日本人であってもイラク人であっても、これ以上一人たりとも犠牲者を出してはならない。ただちに占領を停止させイラクのことはイラク民衆の手にゆだねることだ。