ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2004年01月16日発行822号

第36回『レムキンとジェノサイド条約(4)』

ニュルンベルク判決は1946年9月30日―10月1日に言い渡された。ちょうどこの時期、国連総会第1会期が開催されていたため、キューバ、インド、パナマがジェノサイドを議題とするよう提案した。簡単な議論の後、第6委員会で審議することになった。11月22日の第6委員会に、この3国はジェノサイドに関する決議案を提出した。エルネスト・ディヒーゴ(キューバ)によると、ニュルンベルク判決は、罪刑法定原則のゆえに、戦争以前に行われたジェノサイド犯罪を裁いていない。

罪刑法定原則とは、犯罪と刑罰は事前に法律で明確に規定されていなければならず、そうでない場合には刑罰規定は適用できないという原則である。レムキンがジェノサイドという言葉をつくったのは1944年であり、まだ国際条約にはジェノサイドという言葉が用いられていなかった。

そこでディヒーゴは、ジェノサイドは国際犯罪であると明確に宣言するために決議案を準備したという。国連総会は国際法をつくる立法機関ではないが、国連決議は一定の権威を持ち得るからである。

提案を受けて、リアド・ベイ(サウジ・アラビア)が新しい決議文をつくって回覧した。ラヴリシェフ(ソビエト)がこれを支持し、人種差別と闘う国際条約が必要だとした。これを受けて、チリ(議長国)、サウジ・アラビア、キューバ、フランス、インド、パナマ、ポーランド、ソビエト、イギリス、アメリカで構成される検討委員会が議論を継続した。ニュルンベルク原則を決議することについては異論がなかった。

もっとも、ジェノサイドという犯罪の刑事責任をどのように理解するかについては対立が生じた。ショークロス(英)は、国家と同様に、正犯も共犯も個人の刑事責任を問われる国際犯罪だと主張した。ショーモン(仏)は、国家によるジェノサイドに関心を向けて、公務員によるものであれ個人によるものであれ処罰されるべき国際犯罪だと主張した。委員会では、国家責任問題と個人責任問題(私人、公務員)を区別して議論した。

検討委員会が起草した決議案は第6委員会でも無修正で採択され、さらに1946年12月11日、国連総会で全会一致で採択された。決議96(I)である。

「殺人が個人の生きる権利の否定であるように、ジェノサイドは、全人間集団の存在の権利の否定である。このような存在の権利の否定は、人類の良心に衝撃を与え、人間集団による文化やその他の貢献の形式における人類の重大な損失をもたらし、道徳法則と国連の精神および目的に反する」。

「国連総会は、ジェノサイドが国際法上の犯罪であり、文明世界はこれを非難し、その実行の正犯も共犯も、それが私人であれ公務員や役人であれ、その犯罪が宗教、人種、政治またはいかなる理由によって行われたものであれ、処罰されることを確認する。加盟国に、この犯罪の予防と処罰のために必要な立法を行うよう勧める。ジェノサイド犯罪の迅速な予防と処罰のために国際協力がなされるよう勧告する。国連総会第2会期にジェノサイド犯罪条約草案を提出するために必要な研究を行うよう経済社会理事会に要請する」。

決議には拘束力がないが、早期に全会一致で採択されたことで、ニュルンベルク原則は国際法の基礎をなすものと理解されるようになり、1951年の国際司法裁判所の意見、1968年のアイヒマン裁判、1996年の旧ユーゴスラヴィアをめぐる国際司法裁判所の意見などで繰り返されている。

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