ロゴ:カルテの余白のロゴ 2004年01月30日発行824号

『癌と向き合う(上)』

 「子宮癌って、どのくらいもつのん? 1年は大丈夫? なんて言葉かけたらいいのか…」--友だちが子宮癌で入院したと聞いて、お見舞いの前の「心づもり」にと、かかってきた電話です。

 癌といえば、こんなぐあいに、本人および周囲の人々に平常心ではいられない、はかりしれない不安をもたらすことが一般的です。

 なぜでしょうか?

 まずは、この電話のように癌は死ぬもの、それも、突然の別れがすぐにやってくると思い込んでいることが、最大の理由です。それだけでなく、治療も、その後も、苦しく耐え難い日々が続いて最後の時を迎えるものだと深く信じられているからです。「安楽死」がいわれるのもそのためでしょう。

 癌は、決して死ぬばかりではありませんし、突然死ぬわけでもありません。そして、「死なせてほしい」と本人が訴えるほどの苦痛が、そんなに明確に押し寄せてくるわけではありません。すくなくとも、「安楽死」を正当化する根拠になるものではないのです。

 癌と一口に言っても、どの臓器に最初に発生するか、癌の悪性の程度がどのくらいか、診断されたときの進行期はどうか、などによって、病気の経過は本当に千差万別です。

「Aさんの癌は、Aさんだけにしかあてはまらない個性をもったものだから、そのつもりで付き合っていきましょうね」と、いつも言っています。発生臓器や進行期・病理診断(悪性度)が同じでも、経過はずいぶん違うことが多いですし、それらのいずれかが異なると、比較するのはまったく誤った不安をかきたてることになります。

 最近は、ほとんどの場合、診断がついた段階で告知がなされますが、癌になっても家事や仕事ができなくなってしまうということではありません。癌とつきあいながらの最高の人生を考えてすごすことができる場合もあるのです。

 先行きの不安を訴えられると、「おなかに水がたまるかもしれないし、尿が出にくくなるかもしれませんね」などと、今後起こってきそうな心配な症状をつい先回りして言ってしまいます。そんな時、当の女性から「先生、わたしがこんなに元気なのに悲観的な言い方をしないでください」といわれる時もあります。

 病気を診ている医療者にとってかなりはっきり進んだ状態でも、実際はとても元気に毎日をおくることができるのです。

 それぞれに個性に満ち、人生にとても濃厚な時間をもたらす癌という病気に、「安楽死」を言葉にする前にどうつきあえるのか。その過程は、私たちの想像以上に尊厳にみちているのです。(この項続く)

(筆者は、大阪・阪南中央病院産婦人科医師)

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