「へえ〜」「へえ〜」「へえ〜」
テレビ番組『トリビアの泉』が始まると、家族は自然と全員集合。「へえ〜談議」に花が咲く。中でも、生きていくにはまったく役に立たない無駄知識―トリビアにはならないけれども、調べれば「へえ〜」といえる疑問を追求する、「トリビアの種」コーナーは大のお気に入り。
いつぞやの「種」は、「ご飯をいくらでも食べられるおかずは、○○!」。各都道府県で100人づつ、計4700人に聞き取り調査をし、トリビアにした。もちろんその結果を見て、我が家の品評員はみな、「へえ〜」とコタツをたたき続けた。
結果はこうである。「ご飯をいくらでも食べられるおかずは、辛し明太子!」。ちなみに2位は納豆で、3位がキムチだった。
「へえ〜。ベストスリーの中に朝鮮(韓国)料理がふたつも入っているなんて、日本も変わったものだ」
私の脳裏には、「朝鮮人、ニンニク臭い! キムチ臭い」といじめられた少年時代が蘇った。弱虫の私は抵抗もできず泣くばかり。朝鮮人の家に生まれてきたことを恨んだ私は、民族食ともいえるキムチを決して口にしなかった。すると今度は家族や親戚が、「朝鮮人なのにキムチを食べられないのは何事か」と叱るのである。本当の理由をいえない私は、貝のように心を閉ざした子どもになっていった。
「アッパ、ベストスリーの中にふたつもあるといったけど、キムチともうひとつは何?」
過去にタイムスリップした私を、娘たちが現在に呼び戻した。
「辛し明太子。明太子は朝鮮料理なんや」
私はテレビそっちのけで、そのルーツを話し始めた。
スケトウダラはハングルで明太(ミョンテ)というが、この呼び名には由来がある。17世紀半ばの李朝時代、咸鏡道の官吏(今の道知事)が明川(ミョンチョン)郡にいったとき、食事に出された魚が美味しいのでおどろいた。何という魚かたずねると、太(テ)という漁師がはじめて獲った魚で名前は知らないという。そこで官吏は、「明川の太が獲った魚だから明太(ミョンテ)」と名付けたのである。その卵に唐辛子をまぶして塩漬けしたのが辛し明太子。戦前に釜山(プサン)で暮らしていた日本人が、その味が忘れられず日本で再現し商品化した。釜山では、明太は訛って「メンテ」となる。それで「メイタイ」となるはずの明太の日本語読みは、「メンタイ」となってしまったのである。
「へえ〜」「へえ〜」「へえ〜」
家族は私の話に「満へえ〜」をくれた。どんな食べ物にも民族の知恵がつまっている。食文化に上下などない。こんな「いい時代」に、少年時代を過ごしたかったものだ。いつの日か、朝鮮半島で日本食ブームがやってくることを心から願っている。