ロゴ:生きる 佐久間忠夫 2004年04月23日発行836号

第84回『人として生きる』

 元国労本部委員長の六本木敏さんが書いた『人として生きる』の本。六本木さんは、国鉄分割・民営化に反対し労使協調路線を否決した1986年10月の修善寺大会で委員長になった(776号第73回参照)。社会党系の無党派だった。いつもナッパ服(国鉄の作業服)を着ていて、組織部長ぐらいまではやっただろうけど、まさか委員長までやるとは思わなかった。

 その六本木さんが委員長を辞めたばかりのころ、教育史料出版会の社長から「頼みたいことがあるから」って電話がかかってきた。社長とは横浜人活事件以来の知り合い。社長が「実は六本木さんに書いてもらったけど、国労本部が(出版は)ダメだ」という。事実は分からないけど、六本木さんはまじめだから執行委員会にでも出版についてはかったのかな。本の内容には国労内部の暴露記事みたいなものや委員長になる過程だとか、個人の名前が載っていたりしたから、出されちゃ困る人も結構いたんだろう。

 出版会の方は出したかったらしい。そこで、「じゃ、佐久間さんの意見を聞いてみよう」という話になったんじゃないかな。なんたって有名人だったから、俺は。

 「いいんじゃないか」と答えて出版された。そして、出版記念会を開いた。どこに声をかけても手伝ってくれない。国労本部との関係があるからだろう。俺がすべて段取りした。

 本はベストセラーさ。最高に売れに売れた。5万部くらい売れたんじゃないか。あの手の本は初刷りが3千くらいだから、すごかった。

 金の欲しかった奴はみんな売ったな。だって本の値段の3割くらいが売った奴に入ったから。

 俺が窓口だったから、新橋清算事業団にしょっちゅう電話がかかってきた。教育史料出版会に連絡して清算事業団に本を送ってもらう。それをみんなが取りに来る。20冊とか30冊。本は重いから大変だ。でも、社会主義協会や共産党系の奴らは、俺も俺も、と注文して売りまくっていたな。

 その当時、「佐久間が本を売ってもうけた」ってうわさが広がった。人活センター全国連絡会を宮坂の弟(後に国労本部書記長)と2人で作った、上野の清算事業団の原田にまで「なんたって、佐久間さんがいっぱい売ったらしいな」と言われた。新橋の中でも「もうけた金を分会に入れた方がいい」なんて言われた。実際は本の注文の仲介をしただけで、俺自身が売ったのはほんのわずかだったんだけど。

(筆者は鉄建公団訴訟原告)

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