ロゴ:カルテの余白のロゴ 2004年07月09日発行845号

『案ずるより産むが易し(下)』

 出産がはじめから終わりまで自然の経過のみで可能かどうかは、実際にお産がすすんでみないとわからないことがほとんどです。

 A子さんは、「(予約をしていた病院で)『自然分娩は絶対無理だから、手術の準備をします』と言われて…」と泣き泣き受診されました。たしかに、胎児の推定体重は4キログラム近くあり、母体の身長は150センチに足りず、肥満の傾向です。「病院で何かをされそうで、どうしても怖い」と、結局、助産所に行かれました。

 後日、報告に来てくれました。お産がとてもゆっくり進んだので時間はかかったけれど、3800グラムの赤ちゃんを自然分娩されたとのこと。赤ちゃんもお母さんも元気で、急ぐ必要がなかったので、生まれてくるのを本当にただ見守って待っていたようすでした。「ゆったりした時間を、むしろ、夫をはじめつきそってくれた家族・友人と一生の大事な思い出となる時間として大切に味わった」と、満足そうでした。病院なら早い段階で促進剤を使ったり吸引したりと、「人工的」手段が、いろいろ登場した可能性がおおいにあるお産だったと思われました。

 さて、もうお分かりでしょうが、良いお産の条件とはなんでしょうか?

 絶対条件は、やはり子どももお母さんも無事で、危険のない「安全なお産」といえます。一方、安全性をふりかざし、不必要な処置で自然のお産を危険なものにしないことは、同じくらい大切です。

 そして、なにより関心が高いのは、「安心で安楽なお産」です。そのためには、納得のいくお産を実感することが重要です。お産の経過を十分理解し、どのような形になっても、自分にとってかけがえのないお産と自覚できることだと思います。ゆっくりと経過する自然分娩の長時間の緊張でも、帝王切開のように短時間の、しかし一時に高い緊張を強いられる場合でも、可能なかぎりリラックスでき安心な気持ちに満たされることが大切です。それらの時間を、気心の知れた家族や友人とともに過ごすことができれば、また、ゆったりくつろげる部屋や環境があれば、申し分ありません。

 多くの医療機関が、過度な人工的処置で安全を確保するどころか逆に危険を作りだしています。また、病院分娩への嫌悪のあまり、本当に医療的処置が必要なときに遅れをとったりすることもあります。どちらも、とても残念なことです。分娩場所の違いにかかわらず、安全や安心の程度に大きな差が出ないようにすることが、これからの取り組みといえます。

(筆者は、大阪・阪南中央病院産婦人科医師) 

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