2004年10月13日発行858号
ロゴ:反占領、自由・平等をめざして

【第6回 権利を求め、自立する女性たち / ベールを脱ぎ、デモの先頭へ】

 誘拐・レイプ・買春|占領下のイラク社会で女性が被害を受ける事件が増えている。女性の生命と生活を守るために設置されたシェルター”女性保護センター”の存在は一層重要となっている。しかも、シェルターは女性たちを保護するだけでなく、権利に目覚めた活動家をも生み出していた。     (豊田護)


虐待から逃れて

迫害から女性を守るシェルター。右から2人目がヤナール議長
写真:肩を組み微笑む四人の女性

 「4年間つき合った人と結婚しようとしたが、両親に反対された。私の家はとても保守的で、両親から何度も殺すぞと脅された。外出するのも恐かった」

 ハディール・ジャワッドは淡々と語り始めた。彼女は、イラク女性自由協会(OWFI)がバグダッドに開設したシェルターの最初の入所者だった。

 両親が彼女の結婚に反対したのは、相手がシーア派で彼女の家(スンニ派)と違った宗派だったことと、結婚相手は両親が一族の中から選ぶことが伝統になっていたことからだった。

 「両親は私を殴り、決して外に出さなかった。玄関口に出ただけで、兄に見つけられ棒で殴られた」

 虐待は父親だけでなく、兄弟が行うことも多い。ハディールの場合もそうだった。姉妹は、学校に通うことができなくなった。

 両親に内緒で結婚した。家族に知られ殺されるか、逃げ出すか−選択肢は限られていた。イラク北東部・スレイマニアやイラン、パキスタンへと逃れた。サダム体制崩壊後、2か月してバグダッドへ戻った。

呪縛からの解放

 「彼女が初めて事務所にやってきたときは、ベールで顔を隠し目立たぬようにしていた。おどおどした感じで、ほとんどしゃべらなかった」

 OWFI議長のヤナールは当時のことをそう表現した。双方の両親から脅しを受けていた。事務所の2階で生活がはじまった。実質的にシェルターとなった。

 ハディールは感じた。「この組織こそ安全と感じられる唯一の組織だ。どんな出来事があっても私を守ってくれる」 彼女はベールをとり、女性誘拐事件に抗議するデモを組織した。そして3月8日の国際女性デーには数百人の女性を自ら組織した。団地や工場へとOWFIの活動や国際女性デーの意義を説いて歩いた。そしてデモの先頭に立った。

自らの経験を語るジャワッドさん
写真:顔写真

 「女性は社会でも家庭でも街頭でも、権利を保障されねばならない。結婚の相手を自由に選べ、自分の意見を自由に言えるべきだ。女性が団結し権利を求めて活動することが社会を団結させる」と訴えている。

 彼女はOWFIのバグダッド地区の責任者として奮闘している。「家族・両親からの脅迫におびえる必要もないし、おびえている暇はない」と語る。だが占領下で社会が宗教に回帰している時、はたして政教分離の社会は可能だろうか。そう聞いてみた。ハディールは力強く答えた。

 「女性の権利を守り、人権を守る組織がある限り、それは可能だ。私たちの社会はイスラム社会ではない。現代的な考え方をする女性たちや伝統の呪縛から自由でありたいと望んでいる女性はたくさんいる」

支援の輪広げる

 バグダッドのシェルターは住宅街の一軒家に移った。いま2人の入所者がいる。イラク軍兵士にレイプされた女性と家族から虐待を受けた少女だ。バグダッドのシェルターではこれまで6人の女性を保護してきた。

 ヤナール議長は今後の活動計画を語った。「シェルターの存在を広め、保護を必要としている女性の受け入れを呼びかける記者会見を開く。法律家による支援のネットワークを広げる。OWFIの組織を強化する」

 手元には、OWFIへの加入申込書の分厚いファイルがあった。ある地区からは70人が同時に加入した。宗教色の強い地域では、女性の尊厳や権利についての話ははじめて聞くという女性が多い。女性たちはOWFIの話を待ち望んでいる。

 だが治安の悪化が進行する中で、女性がOWFIの事務所を訪ねることは一層困難な状況にある。こちらから出かけていくことが必要だとヤナールは考えている。

 「次のニュースレターには、自由を手に入れた10人の女性を紹介する。声を上げれば、このように自由になれると呼びかけたい」

 ベールをかぶり、自分の身に起こったことも言えなかった女性が、集会を呼びかけデモの先頭に立つ。ハディールはまれな例ではなかった。「一人の女性が自立していく物語は、そのままOWFIの歴史を形作っている」とヤナールは言った。

         (続く)

靴みがき(イラクにて)
写真:路上で靴みがきを営む父子
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