イラクから劇団がやってきた。この10月、東京・名古屋・大阪などで公演したアル・ムルワッス・フォークアートグループ。伝統的な民族舞踊とパントマイムで『イラクから、船乗りたちのメッセージ』を伝えるステージ構成に、自由を求めるイラク民衆の叫びを聞いた。明日への希望を奪っている占領者への怒りの声と受け止めたい。反占領、市民レジスタンスにつながる人びとは多くいる。(豊田 護)
カーテンコールに応える劇団員(10月22日・大阪)
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「さあ、船を漕ぎだそう / 大丈夫、わたしたちはへこたれてはいない / さあ、前へ前へと進んでいこう」
来日にあたって創作された歌の一節だ。団員全員でステージを締めくくる「イラク2500万の同胞から日本の人びとへのメッセージ」(パンフレット)となっている。
ステージ第1部では、イラク南部地方の伝統的な楽器・歌や舞踊で、シンドバッドの冒険物語を思い起こさせるシーンが描かれる。団員の笑顔がそのまま、自由への賛歌となっているようだ。
現代のイラク社会を表現した第2部は、一転して2人だけのパントマイムが演じられる。
舞台には、いくつもの鍵がぶら下がった壁と手の届かない窓枠につるされた片方の靴。足を奪われ、扉さえ開かない閉塞した空間に、ただただ、時計の針だけが絶望の時を刻み続ける。
友人や家族との間にも無意味な言葉しかなく、いつしか爆撃で命さえ奪われていく。これが、いまのイラクなのだ。だが、そんな中でも「わたしたちはへこたれない」と冒頭の歌が続く。
占領下の演劇活動
出口の見えないイラクの現状を示すパントマイム
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アル・ムルワッスの前身となる劇団は90年代後半に設立されたが、当時の文化省からは解散命令を受けた。海外公演は許されなかった。国立ファークアートグループをしのぐ活躍がアダとなった。大阪で行われたシンポジウムの場で団長のシャキールは解説したが、体制翼賛を潔しとはしなかった演目のためだと別の場所では語っている。
イラク戦争後、あちこちの劇場が略奪にあった。その時、バグダッド最初のホールとして76年に建てられた人民ホールを守ろうと団員が集まってきた。劇団の再結成につながった。
「現在、とても厳しい環境の中で練習を積んでいる。電気も満足にこないため、照明や音響にも事欠いている。団員の3分の1は米軍の包囲地区に住んでおり、外出すらままならない」
占領下で演劇活動を続ける困難さは想像に難くない。
「とくに女優の確保が大変だ。両親を説得しに家まで出かけた。練習場と家の間の送迎を行い、安全を保障することで了解を得た」
日に100件もの戦闘行為が起こっている。犯罪は野放し状態だ。女性の誘拐・レイプなど深刻な状況がわかる。
「経済的な支援はどこからもない。ある組織に所属すれば援助するという政党からの申し出もあったが、断った。どんな政党の支配も受けたくない」と演出家のアルサイディは新聞のインタビューに答えている。
暫定政府はどうか。文化省へは、いくつかの書類を提出し援助を求めた。だが答えは「グループを解散する他はない」というものだった。米軍の侵略反対を公然と語る彼らの彼らの活動は、サダム体制下同様に歓迎されていない。
大切なのは人間
バグダッドの街をこれまで何度も歩いた。だが、こうした劇団が活動していることを知ることはできなかった。占領直後の昨年5月は、国立劇場やラシード劇場も爆撃と略奪の傷跡を曝していた。街全体が、破壊の痛みに耐えていた。サダム体制からの解放感というより、無政府状態の混乱をどう収拾するのか。そんな不安が先だったのを覚えている。
その後9月・12月、そして今年8月。占領が継続するほどに、社会は健全さを失っていったようだ。占領軍はますます残忍さを増し、宗派や民族対立を煽る。女優が在籍する劇団にイスラム過激派からの脅迫が絶えないという。
「神は愛や人間について考え、表現することを禁止してはいない。女優がベールをかぶって登場するかしないかなどたいした問題ではない」
ウード奏者のサベールは断言した。団員はほとんどムスリムだが、シーア派もいればスンナ派もいる。
「椰子の木が、高く繁り実りをつけるのは大地に根をはわせているからだ。どんな民族だろうが、宗教だろうが、その人間の根を大切できる社会が必要なんだ」
人が人として扱われない社会で、芸術活動が保障されることはない。政教分離と人権・自由擁護を掲げる市民レジスタンスは幅広い広がりを持つに違いない。 (続く)