5、6歳くらいまでの幼児にとって、性器の違いというものは、通常はあまり意識されるものではありません。本人にとっては「おしっこのでるところ」であって、『気になる場所』ではありません。
外来には時折、「おちんちんが(女の子もみな、そう表現します)痛い」とか「ここがかゆい」とか、外陰部が気になってしようがない子が連れられて受診します。あるいは、トイレに何度も入っては尿道のあたりを気にしている、という子が母親に引っ張られるようにやってきます。
A子の母 「このごろ、えらいパンツが、汚れるんです。股の間ばっかりさわってるし」
A子(4歳) 「ん…痛くない…」と言いながら、落ち着かない様子で、手は股の間に行ってしまいます。
確かにとてもおりものが多く、下着の汚れもひどいので軽く麻酔をして、診察(鼻鏡で)しました。なんと、広告の紙片がでてきました。そういえば以前、ボールペンのキャップが出てきた子もありました。
どうして、そこに物が入る場所があるとわかったのでしょう? たまたまかもしれないし、誰かが「教えてくれた」のかもしれません。自分でみつけて、遊んでしまった子どもには、やはり、周りの人間との遊びやお話の交流が極端に少ない傾向があります。「教えてもらった」らしい子は、幼児への性暴力の可能性があり、とても大きな問題をはらんでいることがあります。
幼児への性虐待がどういう症状をもたらすかの研究や調査は、一定の傾向があることを示しています。とりわけ、小児性虐待では、排尿症状を示すことが多いのです。
幼小児時の性暴力は、膣外陰部へのさまざまの接触、挿入といった形でなされます。行為の程度の問題ではなく、そういった暴力経験自体が、本当にその後の長い女性の人生に深刻な影響をもたらします。
被害の記憶は失われることが多いので、女性として成長したあとになって、原因不明の排尿障害や下腹部のさまざまの痛みや排便障害の繰り返しに長く悩まされていることが統計的にも知られています。
性被害の全般的な理解についてはまたの機会にゆずるとして、ここでは幼児における性器への接触行為や暴力的挿入などが幼児の婦人科受診の原因を作っていることがまれではないという事実を指摘しておきたいと思います。
幼児の極端に孤独な心の揺れが性器への関心を引き出すこともあれば、理不尽な暴力的行為が女性の一生にかかわる重篤な精神的症状を引き起こすこともあるのです。
(筆者は、産婦人科医)