ビラ配りが住居侵入などの罪に問われ、実行者が逮捕される事件が続発している。逮捕はビラ配り一般ではなく、「イラク派兵」や「日の丸・君が代強制」といった「国策」に異議を申し立てた者を狙い撃ちにしたもの。これは明らかに、戦争国家づくりに反対する意見の封じ込めを狙った言論弾圧である。
卒業式で逮捕者
卒業式シーズンの3月、東京都内の公立学校では異常な光景が現出した。卒業式当日、ほとんどの学校に警察官がいた(校長の要請に応えての出動という形をとっている)。「日の丸・君が代」の強制に抗議する市民の行動に干渉するためである。
校門前でのビラ配りに立ち会った弁護士は、警察の執拗な妨害行為を次のように報告している。
「騒いでいるのは警察であって、ビラ撒きをしている人は大変静かに、冷静に撒いていました。むしろ、ビラ撒きをしている人が、警察官に繰り返し『卒業式なんですから静かにしてください』とお願いするほどでした」(日本民主法律家協会のウェブサイト / http://www.jdla.jp/jim-diary/jimu-d.html)
警官が校門で見張る都立校の卒業式(3月5日・東京)
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とにかくメモや写真をとって威嚇する、ビラ配りをしている人と肘が触れ合うほど近い位置に立つ、立ち会いの弁護士に対し「表現の自由なんて関係ねえんだよ」と暴言を吐く−−警察による数々の嫌がらせは「市民が挑発に乗ってくれば、即逮捕」を意図したものだ。事実、都立高校の卒業式ではビラ配りで現行犯逮捕される事件が2件起きている(被疑罪名はいずれも「建造物侵入罪」)。
「日の丸・君が代」の強制に反対する教職員や子どもたちには行政当局の「処分」が待ち構え、親や市民には警察の弾圧が襲いかかる。「日の丸・君が代」に象徴される国家の前では「内心の自由」すら許容されない−−東京都の学校で起きている事態は、そうした物言えぬ社会の到来を予感させる。
狙いは萎縮効果
「ビラ配り逮捕」などの不当逮捕が頻発するようになったのは、イラク戦争の開戦前後、つまり日本でも戦争反対の大衆行動が高揚した時期からである。
公衆トイレの外壁に反戦メッセージの落書きをした男性を建造物損壊罪で逮捕。防衛庁官舎に「自衛隊のイラク派兵反対」のチラシを配った市民団体のメンバー3人を「住居侵入罪」で逮捕。『しんぶん赤旗』号外を休日に自宅周辺で配布していた社会保険庁職員を「国家公務員法違反(政治活動の制限)」で逮捕などなど…。
いずれも、通常なら逮捕・起訴には至らぬ事例である。都立高校の卒業式ビラ配り逮捕事件では、東京地裁八王子支部が逮捕された男性の拘置を認めず釈放した。「立ち入った敷地部分は高校の門や塀の外側にある土地で、これを建造物侵入罪に当たると評価するのは困難だ」というのが理由である。もう1件のビラ配り逮捕事件では、検察が拘置請求を見送った。
無実の人間を逮捕したのだから、普通に考えれば警察の大失態になるはずだが、公安当局にとってはそうではない。彼らの目的は「逮捕すること」自体にあるからだ。
警察に逮捕されれば、誰だって肉体的精神的なダメージを負う。身柄拘束が長期に及べば、生活そのものが破壊される。さらに被害は、家宅捜索などの形で所属するグループはもちろん、家族・知人・職場にまで及ぶ。
何より逮捕は第三者への萎縮効果を発揮する。「政府批判のビラを配っただけで逮捕された」といった出来事が何度も起きれば、市民は政治問題にかかわろうとしなくなるだろう。「戦争反対」の思いはあっても、日常生活への影響を恐れ、それを口にしたり行動に移したりできなくなってしまうのだ。見せしめ的な逮捕の狙いはここにある。
片棒かつぐメディア
日本政府はいま、「国民保護法」と称する有事法制を使って、地方自治体や地域住民を戦争協力体制に巻き込もうとしている。戦争政策に従わぬ者に対する監視と摘発の網を地域の隅々にまで広げようとしているのである。「ビラ配り逮捕」などの言論弾圧は、こうした動きと軌を一にするものだ。
にもかかわらず、一連の不当逮捕に対するマスメディアの反応はきわめて鈍い。それどころか、「過激派が関与」などの警察発表のタレ流しや逮捕者の実名報道などで、公安当局が意図する萎縮効果の片棒を担いでいる。
公安当局による言論弾圧は、「共産党」や「活動家」だけを狙っているのではない。彼らは戦争という「国策」に批判的なすべての言動を取り締まりの対象にしているのだ。憲法が保障した「表現の自由」「思想信条の自由」に対する公権力の干渉は許されない。そこに例外はない。 (M)