2005年04月08日発行882号 books

女性解放・社会正義実現の闘い

『ミーナ 立ちあがるアフガニスタン女性』 メロディ・アーマチルド・チャビス著 / 耕文社 / 本体1800円+税

 本書は、RAWA(アフガニスタン女性革命協会)創設者ミーナの伝記であり、アフガン女性解放のために闘うRAWAの活動記録でもある。

 ミーナの人生は1957年からわずか30年。アフガニスタンが王政から「共和制」・ソ連支配へと激動する時代だった。体制が変わっても、夫が妻を殴る権利さえ認める女性蔑視の社会は変わらなかった。女性差別の原因は日常生活を支配するイスラム法とその恣意的な解釈にあるとミーナは考えていた。

 ミーナ19歳。カブール大学入学と同時に政治組織のリーダーと結婚。その夫の支えを受けアフガニスタン唯一のフェミニスト政治組織RAWAを結成する。「アフガン女性は抑圧された集団の中の抑圧された集団なのよ。私たちには男性とは違う目標があり、獲得すべきずっと強い理由があるわ」。女性の解放がすべての人の解放につながるとミーナは考えた。

 民主主義と社会正義の実現を願うミーナはイスラム法とともにソ連支配とも闘った。弾圧を逃れ活動の拠点を隣国パキスタンに移したミーナ、そしてRAWAは難民キャンプの中で、学校や病院を開設し民衆の信頼を広げていく。難民キャンプで学んだ女性たちがRAWAの活動を支えた。

 ミーナが支援者の裏切りで暗殺されてから2年後、ソ連軍は撤退するが、アフガン民衆は民主主義も社会正義も手にすることはなかった。地域を支配する軍閥間の内戦、タリバン支配、そして米軍による空爆と悲劇は続く。ミーナの予言通り、ソ連支配時代より生活は悪くなり、女性に対する虐待は深刻さを増している。

 厳しい弾圧の中で、わずか数人で結成されたRAWAは2千人以上のメンバーと数千人の支援者のネットワークをつくりだした。RAWAに対する信頼は、反占領・反宗教支配の立場だけでなく、ミーナの人間性が培ったものが大きい。

 ミーナは危険を承知で、家族が獄中にいる女性たちを一人で訪ねるなど献身的な活動を続けた。ミーナ自身、夫を殺され、子どもと離ればなれに暮らした経験を持つ。ミーナの訪問を受けた女性たちは「自分も同じ痛みや悲しみと共に生きている大勢の中の一人なんだ」と励まされたという。

 決してあきらめることがなかった「ミーナ」(ペルシャ語で光の意味)をメンバーは忘れることはない。

 いまアフガン政府は、ミーナが求めた政教分離の民主的政府とはほど遠い。かつてのソ連軍は米軍に変わり、宗教勢力の蛮行はエスカレートしている。そんな中、RAWAは今年カブールではじめて国際女性デーに取り組み、成功させた。 一昨年、米大統領ブッシュの戦争犯罪を裁いたアフガニスタン国際民衆法廷にRAWAが来日し、連帯する会が結成された。本書の出版は、その支援活動の成果の一つといえる。(T)

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