2005年06月03日発行889号

JR西脱線・転覆事故 メディアが触れない事故背景

【国策による「民営化災害」】

「感傷的映像」の報道合戦が本質を覆い隠す
写真:事故現場で手を合わせる子どもを報道するマスコミ

安全無視は国策の結末

 JR福知山線の列車脱線事故から1か月がすぎた。この間、マスメディアは様々な角度から大事故の原因を分析してきた。

 収益を上げるために定時運行が困難な過密ダイヤを組む。無理なスピードアップを乗務員に強い、遅れがでると彼らに責任を転嫁する。装備面でも安全対策にカネをかけない…。一連の報道は、JR西日本がいつ大事故が起きてもおかしくない綱渡りを続けてきたことを伝えている。利益至上主義・安全無視の経営姿勢が大惨事につながったことは明らかだ。

 しかし、マスメディアはJR西日本の批判はしても、根本的な問題には口をつぐんでいる。それは公共交通にあるまじき危ない鉄道会社がどうして生まれたのか、ということだ。そう、国鉄の分割民営化である。今回の事故は、グローバル資本に奉仕する政府の民活・規制緩和路線がもたらした国策災害なのだ。

英国−「民営化は失敗」

 国鉄が分割民営化されたのは1987年のこと。首謀者の中曽根康弘元首相は、後に「分割民営化の本当の目的は国労つぶしにあった」と語っている。労働組合を弱体化し労働者を無権利状態に置けば、企業は儲けのためのやりたい放題が可能になる、というわけだ。

 事実、国鉄末期に吹き荒れた労働者いじめの手法はJR各社にそのまま引き継がれた。今回の事故で有名になった「日勤教育」もそのひとつ。JR西日本は経営方針への絶対服従を社員に強いた。「稼げ、急げ、ミスは隠せ」という会社の姿勢に逆らうことは許されない。安全性がないがしろにされるわけである。

 また、JR各社は「民営化の成功」をアピールするために、何が何でも収益増を実現しなければならなかった。JR東日本や東海より「地の利」で劣る西日本会社は、列車の増発とスピードアップで集客力を高めようとした。

 乗客の安全を無視したJR西日本の暴走を政府も後押しした。「規制緩和」で安全対策をJRまかせにし、人身事故が頻発しても責任ある行政指導を怠ってきた。人殺しとして非難されるべきは、JR西日本の経営陣だけではない。民営化路線を進めてきた政府も同罪である。

 日本と同様、国鉄を分割民営化したイギリスでは、事故の多発により「民営化は失敗だった」という声が巻き起こり、鉄道の再国有化が議論されている。日本でも民営化見直し論議が起きて当然だ。それなのに、マスメディアは沈黙を決め込んでいる。

 なぜか。JRの事故を「民営化の帰結」と見る世論が増えては困るからだ。小泉内閣が郵政民営化をごり押ししようとしている今、民活・規制緩和路線への疑問が広がってはまずいのである。まったく、国家権力に迎合した世論誘導というほかない。

JR西・職員たたきのみに血道をあげるマスメディア
写真:各種新聞の記事を紹介

「職員たたき」ですり替え

 事故に対する遺族や世論の怒りを民営化路線に向かわせないように、マスメディアはJR西日本の「企業風土」(5/10朝日社説)や職員の「意識の緩み」ばかりをやり玉にあげている。「救助せず出勤 / 落ちた『プロの自覚』」(5/5朝日)、「どこまで人ごと / 事故後ゴルフ・宴会(5/7読売)」等々。

 JR職員に非難の集中砲火を浴びせ、「諸悪の根源」として描く報道は問題のすりかえというものだ。世論の関心を事故の本質から遠ざける役割をはたしている。

 JR職員の間に人命軽視の感覚がまん延していたというならば、それをもたらした儲け至上の資本の論理を問うべきだし、ひいてはグローバル資本に日本社会を売り渡す小泉「構造改革」の危険性を指摘すべきではないか。

 マスメディアのバッシング報道のせいで、JR西日本の管内では乗務員を狙った嫌がらせ行為が相次いでいる。国策災害の責任を労働者に転嫁し市民との分断を図るとは、何という悪らつさであろう。

 そもそもマスメディアは「民営化すれば何でもうまくいく」という幻想をふりまいてきた張本人だ。彼らもJR西日本の暴走を許し国策災害を招いた責任者なのだ。

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