2005年06月03日発行889号

【「裁判には勝ってほしい」 1047キロマラソン親子でゴール】

鉄建公団訴訟原告家族・中野雄太さん

 国鉄の分割民営化時の不当労働行為責任を問う鉄建公団訴訟は9月15日に判決を迎える。19年目に入った闘いとともに成長してきた子どもたちは、親の姿をどう見ているのか。


ゴールにむかって一緒に走る中野さん親子
写真:拍手に迎えられてゴールへ

 4月1日、1047名の原職復帰への思いを重ねた1047キロマラソンのゴール地点となった鉄建公団前。四国から走り通してテープを切った中野勇人さん(北見闘争団)の両脇には、長男・雄太さん、次男・龍二さんのにこやかな姿があった。「ま、父の顔をたてて一緒に走ってやったんですよ」と雄太さんは冗談めかして振り返る。

 85年生まれの雄太さんは勇人さんが解雇された時は2歳にもなっていなかった。「父に職場といえるものがないこと、家にお金がないことは当たり前でした。別にそのことで特につらい思いをしたことはないです。父もほとんど家にはいませんでしたが、学校の行事には意外と来てくれてたし」。とはいえ、父親についての作文を書く時、どうやって書くものか困ったことはよく覚えている。友達から父の職業を尋ねられて「無職」と答え、「冗談だろ」と言われたこともある。

新聞配達をしながら

 新聞配達をしながら学校に通う「新聞奨学制度」を見つけた雄太さんは高校卒業後の去年3月に上京。「親に負担をかけなくてもすむように」と、年間約100万円の学費を奨学制度の助けを借りて全額自分で返している。誕生日ごとの家族へのプレゼントも忘れない。

 毎日朝3時から配達、昼間は学校へ行き夕刊の配達は午後3時から。仕事を始めたころは3、4キロ体重が落ち、インクで手は黒くなったまま。広告の折り込み作業で紙による切り傷は絶えず、新聞に血痕が付いたまま配達してしまったこともある。「もう慣れましたけど」と差し出した手もすっかり固まったマメでごつごつしている。「ポストに噛まれてできたんです」という傷跡も痛々しい。

 濡れないように、と気をつかう雨の日が一番つらい。一度だけ、辞めようと思ったことがある。「雨の日に自転車を倒してしまった時は家に帰りたくなりました」。でも、広域採用に応じて上京している父の仲間がなにくれとなく励ましてくれ、大きな力となった。

名前で呼び合う

 中野家では、家族が一対一で向かい合える関係を、と親子の間でも名前で呼び合っている。「鉄建公団原告として、職場復帰を求めて闘い続けることが子どもたちに生き方を見せることと信じてきた」と勇人さん。「一度言ったことはやりきれ」が子どもたちへの勇人さんの口癖だ。かたわらで雄太さんは「それに近いことはできてきた。口にしたことはある程度やってるつもり」と確かな口ぶりで語る。「自分の家が裕福で何も苦労しなかったら、こういう自分の性格はできなかったと思います」

 勇人さんは言う。「分割民営化に象徴されるように、労働者をいじめる社会は戦争や環境破壊へとつながる。社会の歪みを正すためにも、当たり前のことが当たり前に通る世の中を子どもたちに渡してやりたい」

 雄太さんは「父のやっている裁判のこともほとんど知らないんです」と言いながら、「でもやっぱり裁判には勝ってほしい。当たり前ですよ」と父の思いに答える言葉を返した。

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