2005年06月24日発行892号

【靖国神社は追悼施設か / こんな場所で平和は祈れない / 侵略を肯定する戦争神社】

 小泉首相の靖国神社参拝に「反対」の声は賛成意見より多いが、「中国政府の参拝中止要求は理解できない」という声も過半数を超えている。こうした世論調査の結果をみると、靖国問題が正しく理解されているとは言いがたい。そもそも、どういう場所なのか案外知られていない。小泉が固執する靖国神社とは何か。

今も軍国主義を扇動する靖国神社
写真:正面から見た拝殿

戦争動員の装置

 「どの国でも戦没者への追悼を行う気持ちを持っている。戦没者全般に敬意と感謝の誠を捧げるのが、なぜいけないのか」。自身の靖国参拝を正当化する際、小泉首相は決まってこう言う。世間的にも靖国神社を戦没者の追悼施設だ思っている人は多い。

 これは事実に反する。靖国神社は小泉が言うような「戦没者全般の追悼施設」ではない。靖国神社が祭神として祀るのは、基本的に日本軍の戦死者だけである。同じ自国民の戦没者でも、空襲や原爆の被害で亡くなった一般市民は合祀されない。

 また、交戦相手国の死者は軍人であれ民間人であれ「慰霊」の対象とはならない。つまり、靖国神社は「天皇のため忠義を尽くして戦死した」と認めた者だけを「国家の神」と称える顕彰施設なのだ。

 国家はなぜ戦死者に最大級の栄誉を与えようとするのか。それは遺族の不満をなだめるのと同時に、何よりも戦死の美化によって自ら「名誉の戦死」を遂げようとする兵士を調達するためである。陸・海軍省が管理運営していた戦前の靖国神社は、そうした国家儀礼の中核施設であった。

 首相として戦後初の靖国神社「公式参拝」を強行した中曽根康弘は、「国のために倒れた人に国民が感謝を捧げる場所がなくて、誰が国に命を捧げるか」と主張した。「英霊の後に続け」という靖国思想の核心がここにある。

 小泉首相が靖国参拝に固執するのも同じ理由からだ。イラク派兵など自衛隊の海外展開が常態化した今、交戦死した自衛隊員の処遇は現実の問題になっている。戦争勢力が靖国神社の今日的復権を急いでいるのは、新たな戦死を想定しているからなのだ。

「遊就館」に展示されている日本軍の大砲
写真:館内に二門の大砲を陳列

戦争美化の見本市

 厚顔無恥の小泉でも、こうした本音を口にすれば現在以上の激しい反発を招くことは知っている。だから、「二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちで戦没者に敬意と感謝を捧げたい」等々、靖国参拝は純粋な追悼の念からだということをしきりにアピールしている。

 まったく子どもだましにもならない詭弁というほかない。靖国神社は、戦没者を悼んだり平和を願うには、およそ不向きな場所である。百聞は一見にしかず。時間がある方は、東京・九段の靖国神社を見物してみるといい。この神社が「戦争神社」と呼ばれる理由が実感できるだろう。

軍国美談「爆弾三勇士」のレリーフ
写真:「爆弾三勇士」のレリーフが展示されている

 靖国神社の境内には『遊就館』と称する戦争資料館がある。その展示構成は近代日本の対外戦争を美化するものになっている。ロケット特攻機『桜花』などの展示物は、戦争の悲惨さや愚かさをあらわすのではなく、国家に命を捧げた「敢闘精神」を称えるためのアイテムなのだ。

 このほかにも、靖国神社の境内には実物の兵器や模型が数多く展示されている(戦艦大和の主砲弾など)。また靖国神社発行の出版物を読むと、この神社がアジア・太平洋戦争を「大東亜解放の聖戦」と位置づけ、日本の戦争指導者を断罪した東京裁判を認めていないことがわかる。

 軍国主義高揚の施設という靖国神社の性格は、国家管理を離れた今も変わっていない。そのような場所に小泉は「内閣総理大臣・小泉純一郎」名で参拝しているのである。これは一国の代表者が「日本の戦争は正しかった」と国内外に宣言したことを意味する。

 「靖国神社を参拝することが靖国神社の考えを支持していると、とらないでほしい」と小泉は弁解するが、そんな言いわけが国際的に通用しないことは明白だろう。

分祀では解決せず

 最後に、A級戦犯の分祀と新たな国立追悼施設の構想について、一言述べておく。2つの案は首相の靖国参拝に対するアジア諸国の厳しい批判をかわすために浮上してきたわけだが、これが実現したところで靖国問題の根本的解決にはならない。

 A級戦犯を合祀から外したとしても(靖国神社側は断固拒否しているので実現性は薄いが)、侵略戦争を正当化する靖国神社の性格は変わらない。また、日本政府が戦争国家路線を突き進む限り、いかなる戦没者追悼施設をつくろうが、それは戦死を美化する「第2の靖国」と化す。

 戦争責任を認め、国内外の戦争被害者に誠実な補償を行う。軍隊をなくし、武力行使の可能性を除去することによって、「不戦の誓い」を現実化する−−国家による戦没者の追悼とは、こういうことではないだろうか。  (M)

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