6月14日、靖国神社より300メートル手前の道路に2台のバスが止められていた。バスの中からは、様々な写真が掲げられ、訴えの歌が力強く聞こえる。警察によって1時間半にわたり事実上バスの中に「監禁」された一行は、靖国合祀の取消しを求める台湾からの遺族であった。
取り消し求め来日
小泉の靖国参拝反対も掲げる(6月14日・東京)
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今回来日したのは、台湾のダウ族、タイヤル族、タイルゴ族、ガラマン族、アミ族、ペナン族、パイワン族、ルカイ族、ブゾン族など「高砂義勇兵」犠牲者の遺族代表60名(団長―台湾立法院委員〈国会議員〉チワス・アリ)。合祀されている高砂義勇兵の犠牲者の名前の撤去を求める訴訟の口頭弁論(6/17大阪地裁)とあわせ、靖国神社に対する申し入れ、犠牲者の魂を取り戻す儀式を行なう計画だった。3年前に来日したときは数名であったが、今回はその10倍の規模となった。合祀取消しの運動の広がりを物語る。
「高砂族」とは、台湾を植民地化した日本政府・台湾総督府が先住民を呼んだ名である。多くの「高砂族」が日本のアジア太平洋戦争に動員され、無残な死に追いやられた。靖国神社には、朝鮮出身者2万636人とともに、台湾出身者2万7656人が合祀されている。
植民地弾圧者と共に合祀
「日本軍の迫害を受け尽くした台湾の原住民は日本人になるものか」(台湾高砂義勇兵遺族「還我祖霊行動」代表団来日にあたっての声明)という。今回多くの写真を持参してきた。バスから掲げられた写真だ。
日本は、1895年台湾を植民地化し、先住民の根強い抵抗に虐殺で望んだ。1930年の「霧社事件」はその象徴である。タイヤル族の約300名の決起に対して、警察のみならず千名を越える軍隊・戦闘機まで投入し、毒ガスをも散布した。
写真は1913年〜1914年に撮られた。「全部日本軍が私たち原住民居住地を攻撃したときのもので、大砲と機関銃などで原住民勇士を殺し尽くし、家屋を焼き尽くし」(同声明)た記録だ。
日本は、植民地支配を徹底するために、1907年から各集落に「蕃(ばん)童教育所」(教員は日本人警察官)を設け、子どもに日本語教育と皇民化教育を行い、組織化していった。アジア太平洋戦争が開始されるや、「高砂義勇隊」として警察を使って動員し、戦場に投入。そして戦死者は、加害者とともに靖国に祀ったのである。
警察が妨害
靖国神社への申入れは、右翼を口実とした警察の介入に阻まれた。しかし、「靖国神社に私たちの高砂義勇隊の犠牲者の名前が書かれている限り、民族の尊厳を取り戻すための追悼行動を代々続け、永遠に止めない」(同声明)と代表団の決意は揺るがない。
先月4日には韓国国会で合祀取消しを含む決議が採択され、5月22日には韓国の遺族ら50名が靖国神社に合祀取消しの申し入れをしたばかりである。アジアの憤りを抑えることはできない。
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代表団長台湾立法院委員チワス・アリの言葉より
「私は誰?」
チワス・アリ(漢名・高金素梅)は祖母の顔に彫られた美しい「入れ墨」を見ながら言った。
「偶然、友人の家で、ある一枚の写真に出会った。台湾を侵略した日本兵がタイヤル族の抗日勇士の頭を切り落とすその写真を見たとき、私は全身に鳥肌が立ち、熱い涙を流した!
このとき、初めて自分が何者か悟った。私はタイヤル族のチワス・アリ」