ロゴ:カルテの余白のロゴ 2005年09月16日発行903号

『性暴力と医療(中)』

 性暴力というと、なにか特別な犯罪者が特別な状況下で引き起こすように考えられがちです。さらには、暴力を受けた被害者側にもなにか落ち度があるかのようにとられがちです。「そんな時間に…」「あんなところを通るから…」「その格好では…」などなど。よく耳にしませんか?

 たとえ、どんな状況にしても、暴力的なセックス、性行為をしてよい理由などありはしません。

 国内外の数々の調査によると、性被害の多くは顔見知りの人間によって引き起こされ、ほとんどが自宅近辺で、しかも白昼堂々と起こっているのです。最近の新聞記事や実際の受診例をみると、塾やスポーツクラブ、通学路、自宅、親類宅などで先輩や教師、兄や義父、近所の住人などから暴力を受けた例が目立ちます。いったい、どうやって自分の注意で防ぐことができるというのでしょう?

 一方、見知らぬ加害者からの被害は、大変狡猾かつ大胆なやりかたです。路上で近づいてきたワゴン車が突然ドアを開き数人がかりで力づくでひっぱりこまれたり、女子学生マンションに追跡されたり。極端なものでは、タクシーの中での被害もあります。

 被害者はいかなる意味でも悪くありませんし、気のつけようなどありはしません。全く不当に、理不尽に暴力の極みである肉体的精神的性的侵害をこうむるのです。

 ほんの一瞬前までの、自分をとりまく安心で快適な空間がすべて消え去り、からだも心も安心して存在する場所がなくなってしまう。足元から世界が崩壊し、立っているところがなくなるという不安と危機が全身を覆いつくします。

 眠ること、食べること、家族や友人とすごすこと、学ぶこと、働くこと―本来、住む環境や世界が信頼できることの上に成り立っているすべてが崩れてしまう中で「日常」生活を強いられるわけです。

 暴力をうけた部分だけでなく、さまざまの身体的症状がともなうのは、からだの安全がまるごと奪われ、からだ全体が痛みの悲鳴をあげているからといえます。こころの不安定、恐怖、不安は、日々の生活の継続を困難なものにするだけでなく、人を信じて関係を持つことを困難にします。その結果、人間関係をつくったり、維持したりすることができなくなりがちです。

 生活の安全が脅かされることは、天災や社会的事故でもありえます。しかし、もともと自分とつながる人間関係の中で、もっとも個人的に尊重されるべきものが犯されることは、安全性の崩壊という意味では、まったく異なるものといえます。

 では、もし被害にあったら、周りの人、医療機関もふくめどうすればよいのか。次回にまとめてお話しましょう。

(筆者は、産婦人科医)

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