ロゴ:カルテの余白のロゴ 2005年10月28日発行909号

『性暴力と医療(下)』

 性暴力被害のサバイバーの方たちは、しばしば、死んだほうが楽と思うほどの血のにじむような痛みの中で、生き抜く闘いに挑んでいます。そんな彼女たちとさまざまの場所で出会うことになるわたしたちは、何を一番大切に考えていけばよいのでしょうか?

 世の中、「こころの傷」をテーマにした本や専門家がどんどん増えているように思います。心的外傷を意味するトラウマということばを知らないひとは珍しいくらいです。

 この連載の最後に性被害をとりあげたのは、サバイバーの方に伝えたい特別な考えや彼女たちが接する医療、教育関係者、身近な友人・家族に教えたい専門的見解を述べるためではありません。それについては、必要なときに適切な書物をよんだり、講義をうけたりすれば良いと思います。

 わたしがここでお伝えしたいことは、ひとりひとりの生活の場でのあたりまえの人間関係についてです。自分の痛みや悲しみ、怒りをだれもがそうしたい時、そばにいる「あなた」(家族・友人・同僚・教師・医療関係者など)に、出してしまいたい分だけを伝えることのできる人間関係があってほしいと思うのです。そういうことが維持されている環境は、さまざまの暴力によって生きる上での安全が破壊されたりしにくく、いったんそこなわれても回復の早い環境といえます。

 性被害によるこころとからだの外傷の影響は、いわゆる急性期のものから、時に何十年にもおよぶ慢性的なものまであります。つまり、「治療中」という特別な期間を想定しての望ましい「対応」などではなく、性被害をうけたあとでも、いかに安全で安心な生活が回復し得るかを実際に生活をともにするひとが表現していることが、とても重要なことと思います。

 要するに、どんなやりかたで被害のあとの気持ちや感情を表出しても、それがあたりまえのこととして共感とおもいやりで受け止められることが、回復へのケアや治療の出発点であると思うのです。そのことは、何も特別専門知識を持つものだけができるのではなく、むしろ、安全を一番ささえられる、どこかで生活を共有している、となりの「あなた」が大切な守り神になりうるのだということです。

 被害がひとつとして同じでないように、回復の過程もひとつとして同じではありません。どのように生き抜いていくのか、回復への歩みのペースも、その道筋も、サバイバー自身が見つけ選びとっていきます。この歩みによりそっていくことは、想像力をもって困難を分かち合う過程で、だれにとっても生きやすい世界をつくることを実感できるものです。

(筆者は、産婦人科医)

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