悪化の一途をたどる生活環境(11月8日・アルビル)
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イラクでは国民投票で新憲法が「採択」され、12月議会選挙に向け300にも上る政党・団体が候補者を立てている。マスコミはイラクの民主化を伝えるが、現実はどうか。10月末から約10日間、イラク北部を取材した。高い賛成率が報道されたクルド地域で「投票結果はでっちあげだ」と人々は言った。占領政策の中で優遇されているはずのこの地域でも悪化の一途をたどる生活環境に、民衆の怒りは爆発していた。民族・宗教による分断を進める占領政策と闘う人々がいた。(豊田 護)
行くんじゃなかった
「この指を切り落としたいくらいだ」
スレイマニヤ市の北端、配電所で働くノザッド(38)の家を訪れたとき、待ち構えたかのように母親ジャヘダ(56)はそうに言った。
「投票なんか行くんじゃなかった。読み書きができないからね、わたしは。そのまま票を渡したよ、当然反対だと言ってね。でもね、賛成票に変えられちまった。わたしは馬鹿だったよ」
投票したことの証明に付けられた人差し指のインクが悔しくてたまらなかった。投票した者は、たとえ憲法草案に反対だろうが賛成したのと同じことだった。
横流しされたガソリンを売る青年(11月3日・スレイマニア)
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イラク18州のうち、北部3州(ダホーク、アルビル、スレイマニヤ)はサダム政権時代から自治政府を持つクルド地域だ。イラク移行政府のタラバニ大統領はPUK(クルド愛国同盟)の党首であり、スレイマニヤ州を支配地としている。他の2州はKDP(クルド民主党)が支配している。対抗関係にある両党だが、占領支持に変わりはない。クルド地域はいずれの州も、98%が賛成票だと報道された。
だが、ジャヘダの言葉に誇張はなかった。どこに行っても、誰もが不正投票の実態を口にした。
スレイマニヤ市で最高の投票率を記録したとされる投票所の選挙監視員だったアソ・ガリーブは自らの体験を教えてくれた。
「投票率は57%に過ぎなかった。PUKから投票を操作するよう圧力がかかった。300票の反対票が捨てられたのを目撃した」
アソによれば、投票所には5人の監視員が配置された。投票者を並ばせ、投票用紙を渡し、投票箱を管理する。だが、監視員は公募されたとはいえ、同じ政党の党員だったり、友人同士だったりする。不正はやりたい放題だった。
クルド人・アラブ人・トルクメン人が混在するキルクークでも事情は同じだった。「ノー」は「イエス」に変造された。
ボイコットは成功
投票のボイコットを呼びかけたIFC(イラク自由会議)議長サミール・アディルによれば、投票率は20%に過ぎない。PUKの幹部は投票後の衛星放送の番組で「若者は政治意識が低くて、投票に行っていない」と嘆いていたという。シーア派が支配しているイラク南部のナジャフでも投票率は20%、反対票が45%を占めた。
「われわれのキャンペーンは成功した。この憲法草案は、イラク国民にとって、イエス・ノーを投じるに値するものではなかった。IFCの立場は正しかったと評価されている」とサミールは総括する。
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昨年8月の取材では、バグダッドを訪れることができた。今回は、イラク北部に限られた。取材をサポートしたIFCメンバーが、バグダッド周辺での安全は保障できないと判断したためだ。
この1年、いや占領後の2年半というもの、治安状況は悪化の一途をたどっている。占領軍の爆撃・銃撃は日常化し、武装勢力の爆弾は生活の場に仕掛けられている。治安だけでない。電気・水・ガソリン、そして仕事。生活に必要なものがすべて欠落したままだ。
この状況に民衆の怒りは爆発している。「1月の国民議会選挙後も何も変わらなかった。それと同じだ」と誰もが言う。3月にはスレイマニヤの学生がストライキを行った。6月にはイラン国境に近いラーニヤ市で5千人のデモがあった。9月にも地方の都市で、デモや対市交渉が行われ、ガソリンの配給を勝ち取った。
地方政府を突き上げ、自らの手で政策を実現していく。民衆は自らの怒りを、希望を実現していく闘いへと変えていた。これが、憲法投票ボイコットの背景だった。非武装による反占領闘争、政教分離の政府実現を掲げるIFCへの共感が隅々に広がっている背景でもあった。(続く)