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占領下のイラクは、日に日に治安が悪化している。占領軍の蛮行が武装勢力の爆弾攻撃を煽っている。社会を覆う暴力肯定の空気は、子どもたちの健全な成長に必要な環境を奪っている。ストリートチルドレン、児童虐待、麻薬常習、児童買春…。政教分離、自由・平等の社会をめざすIFC(イラク自由会議)は、子ども保護センターの設置を進めていた。初めてキルクークに開設された子どもシェルターの開所式を取材した。そこには、多くの期待と希望が集まっていた。(豊田 護)
連帯地区にシェルター
「私たちは子どもの権利を守るために闘い、ここに集まっている。戦争とテロの最大の犠牲者は子どもたちだ。子どもの権利実現を阻んでいる原因は社会にある」
イラク子どもセンターの責任者であるアザド・アフメドは、あいさつを始めた。300平方メートルほどの庭には、椅子がぎっしりと並べられ、200人を超える子どもや親がアザドの言葉に耳を傾けた。
場所は、イラク北部キルクーク市アルタザムン(連帯)地区。民族や宗派の違いを前提に、共生社会を実現している自治評議会が運営する自治区だ。文字通り、住民自らの手で、治安と社会サービスを提供している。IFCの子ども保護センターの活動として、初めてのシェルターがここ連帯地区に開設された意味は大きい。自治評議会モハメド・アジズ議長にとっても、誇りとなった。
子どもセンターの開所式に集まった子どもたち(11月11日・キルクーク)
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いろんな民族政党・団体がキルクークでも活動している。しかし、市の中心部に事務所は持てたとしても、住民の支持を受け地域と結びついた活動を行っているのはIFC以外にない。民族や宗派の利益を追求することが、紛争を拡大し、治安を脅かすことを人々は肌で感じているからだ。
弾圧をのりこえて
子どもの人権を守る活動はイラク戦争以前から行われていた。
子どもセンターの事務所は1999年、スレイマニヤ、アルビルに設置された。イラン・イラク戦争や湾岸戦争、経済制裁などが子どもに及ぼした影響は大きかった。親や家をなくした子ども、家族などから虐待されている子どもを保護するためのシェルターも開設された。1年間で24人を保護し、99件のケースを取り扱った。
ところが2000年7月、スレイマニヤを支配するクルド政党PUK(クルド愛国同盟)は、自らの支配を脅かす勢力の伸張を抑えるために、弾圧を加えた。スタッフら数人が殺された。子どもセンターは、事務所もシェルターも閉鎖に追い込まれた。
「当たり前の生活をこの子にも」
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イラク戦争後、バグダッドにシェルターを開設したが、資金不足で子どもを受け入れられなくなった。
アザドが子どもセンターの運営を引き受けたのはその後のことだ。継続して活動を続けるには、IFCに参加し国内外に支援を広げる必要があった。自由と平等を実現する政策綱領を掲げるIFCにとって、子どもセンターのプロジェクトに取り組むことは当然のことだった。
子どもの権利を法に
バグダッドから開所式に駆けつけたIFCサミール・アディル議長は「今バグダッドでは、毎日数十人数百人の子どもたちが占領の犠牲になり、人々は希望を失っている。私たちは、人々に明るい未来をもたらすために国内外で闘っている。子どもの権利を法の中に組み込まなければならない。市民的権利を取り戻そう」と訴えた。
日本での写真展・絵画展開催など支援の取り組みが報告されると大きな拍手が起こった。実はこの子どもセンターはすでに2か月ほど前からスタートしていた。日本からの取材日程に合わせて開所式を待っていた。
イラクの人々にとって、国際的な支援があることがいかに大きな励ましになっているかがわかる。占領と宗教的束縛による閉塞した社会を変革するためにも、未来への希望を確かなものとするためにも、IFCの活動が広く世界から支持されていることを示すことだ。
子ども保護センターは、年内に大会を開く。バスラ、バグダッド、キルクーク、スレイマニヤ、アルビルなど各支部をつなぐ。占領を支える民族政党の妨害に対する怒りの声は、IFCの社会建設への事業に希望を見出している。
300枚の絵画
イラクの子どもたちが描いた絵。血に飢えた侵略者を告発している
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取材を終えイラクを出る前夜、アジズ議長は子どもの描いた絵画87枚を持ち込んできた。子どもシェルターの取り組みに賛同・期待するキルクーク市内の小学校から300枚の絵画が届いた。その一部だという。スレイマニヤやバグダッドの子どもセンターから託された120枚の絵画とあわせ日本に持ち帰った。
絵画の一枚一枚に、子どもたちの願いがこめられている。占領のない、暴力のない、家族から大切にされる、当たり前の生活がほしいと。(続く)