イラクでは今も続く戦闘行為の中で、女性や子どもたちの犠牲が重ねられている。死傷だけではない。精神的な障害を負った者や虐待行為の犠牲者は後を絶たない。米英の侵略戦争は市民社会の協調性を崩壊させた。イラク自由会議(IFC)に結集する人々は、子ども保護センターや女性シェルターを開設し、社会的権利を擁護・実現する運動を通じて占領に立ち向かっている。では実際、子どもセンターはどのような活動をしているのか。スタッフに聞いた。(豊田 護)
教員による虐待
アデル・マハムドは12歳で自ら命を絶った。2004年のことだ。教員の虐待に耐え切れなかった。スレイマニヤ子どもセンターの事務所には、物陰に隠れ、おびえた表情をしたアデルの写真が掲げられていた。
スレイマニヤ子どもセンターの事務所。壁には12歳で自殺したアデル少年の写真、遺影が掲げられていた(11月4日・スレイマニヤ)
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「私たちはこの事件を取り上げ、学校や教育委員に要請したり、遺族の家庭や虐待した教員にも会って話をした」
子どもセンターのスタッフ、カマラン・ラティフは話しはじめた。メディアにも取り上げさせ、子どもに対する虐待反対のキャンペーンを行った。家族との対話や集会を重ね社会に訴えてきた。
「子どもの犠牲はストップさせなくてはならない。こうした虐待行為はきわめて悪質で、一種の習癖、宗教がもたらした因習になってしまっている。だから人々は私たちの活動を歓迎してくれた」
虐待を行った教員を訴え、地方政府や教育省に圧力をかけた。教員は免職となった。だが、他にも多くの虐待の事例があるにもかかわらず、地方政府はまったく対策をとろうとはしない。メンバーは今子どもを教員の攻撃から守る法制定をもとめてキャンペーンを続けている。
両親による虐待
イラン国境に近いカラドザの街にドゥニャ・ハリルという女の子がいる。父親が母親に火をつけ、ドゥニャにも同じことをした。理由はないに等しい。男の言いなりにならない女はわけもなく虐待を受ける。隣り街のラーニアに住み、子どもセンターの活動をしているサカル・サイードは父親の虐待におびえるドゥニャのもとに飛んでいった。
「『怖がらなくていいのよ』としっかり抱きしめた。心からの暖かさを感じたのは初めてではないでしょうか」
子どもセンターのスタッフ、サカルさんと娘のジーラ
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サカルは出会いの様子を話した。「私にもあなたと同じような子どもがいるの。心配しないで、助けに来たのよ」
。サカルの言葉が、警戒心で固まったドゥニャの心をほぐした。サカルから離れようとはしなくなった。虐待した父親は収監された。ドゥニャは安全なシェルターへ移される予定だ。
家庭での虐待は女子に限らない。11歳の男子レハズは、長時間の労働を強いられていた。貧困のためではない。父親が再婚し、継母がつらく当たった。父親も止めはしなかった。粗末な衣服しか与えず、建設現場で長時間働かせ、奴隷のように扱った。
サカルは家族を説得した。両親は子どもセンターの監視のもとでは、あからさまな虐待は控えるようになった。スタッフはレハズに、必要な文具や玩具を買ってやった。
腐敗と独裁
雑排水が川となっているダラトゥ地区(11月5日・アルビル)
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アルビル市の郊外にダラトゥ地区、ビナスラワ地区がある。人口はそれぞれ6万人、9万人ほどの街だ。両地区とも17年前、イラン・イラク戦争の犠牲者遺族のためにサダム政権が作った街だ。地域には下水もなく、雑排水が川となっていた。子どもたちには遊び場もなく、学校もきわめて貧弱だ。1クラス50人以上で、その上3回に分けて授業をしている。教室が足りないからだ。
ダラトゥには精神的なダメージを受けた3人の子がいる。原因は不明だ。治療ができないかと相談を受けている。資金集めの努力をしている子どもセンタースタッフ、ユセフは言う。
「こうした精神的障害を負った子どもたちは政府からまったく無視されている。彼らは政府からは何の給付も受けていない」
キルクークの南、キフリの街には目の治療が必要な4人の子どもが手術を待っている。キルクークには米軍の爆撃で片腕を切断した子どもがいる。その治療費も必要だ。
子どもセンターが扱っているケースは、すべて占領によるものだというわけではない。しかし、児童虐待にしても、医療措置にしても、政府が行うべきことに違いない。
「本来子どもたちを守るのは政府の責任だ。今の政府は私腹を肥やすことに汲々としているだけだ。盗賊と同じだ」
アルビルのスタッフ、バシュダルは、怒りをこめて言った。アルビル州政府は子どもセンターの開設すら公式には認めていないのである。
腐敗と独裁。サダム政権に投げかけられた批判は、そのまま現政府にも当てはまる。占領は事態をさらに進行させた。社会的弱者を保護・支援する運動はまったなしの状況にある。崩壊した社会システムを新たに作る試みは、IFCの重要な闘いとなっている。 (続く)