証券取引法違反の容疑で逮捕されたライブドアの堀江貴文前社長に対し、マスメディアは非難の集中砲火を浴びせている。ライブドアが違法行為を含むあくどい商売をしていたことは事実だろう。しかし、ホリエモンを血祭りにあげてよしとする報道には、どうしても納得できない。これは「巨悪」を隠すための“祭り”ではないのか。
国策捜査の典型例
プロ野球参入に名乗りを上げたかと思うと、巨大メディアグループに敵対的買収を挑む。「稼ぐが勝ち」「人の心はカネで買える」と公言し、テレビタレントとしても注目を集める−−ライブドアの堀江貴文前社長(ホリエモン)は、まさに格差社会の「勝ち組」を象徴するキャラクターであった。
そうした「時代の寵児」の逮捕劇にマスメディアは激しく反応した。新聞や週刊誌の論調は、儲かるなら何でもするというライブドアの経営手法を道徳的に批判するものが目立つ。いわく「人の心はお金で買えぬ」(1/24朝日社説)、「驕る“ヒルズ成金”に大鉄槌!」(1/26週刊文春)等々。
たしかに、堀江前社長は傲慢な言動といい、派手な私生活といい、世間の反感を買いやすい人物である。成り上がり者が悪事に手を染め転落、というストーリーも俗受けしやすい。しかし、マスメディアが描くように「ホリエモン=天下の大罪人」なのか。証券取引法違反という容疑に比べて、今回の強制捜査はあまりに大げさではないか。
ある政治的意図を実行するために、国家権力が象徴的な事件をつくることを国策捜査と定義するならば、ライブドア事件はその典型例といえる。ホリエモンはその標的として血祭りにあげられたのだ。
不安定要素を切除
では、国策捜査の背景に権力サイドのどのような意図が働いているのか。
ライブドア捜査の総指揮を執る東京地検特捜部の大鶴基成部長は、昨年4月の就任会見で次のような発言をしていた。「額に汗して働く人、リストラされ働けない人、違反すればもうかるとわかっていても法律を順守している企業の人たちが、憤慨するような事案を摘発したい」
特捜部の幹部はライブドアへの強制捜査にあたっても同様のセリフを口にしている。これらを根拠に、今回のライブドア摘発を「小泉に訣別の国策捜査」(2/6アエラ)とみる向きがある。小泉自民党の広告塔でもあった堀江前社長を叩くことで、小泉改革=新自由主義路線の暴走にブレーキをかける意図があった、というのである。
こうした見方には同意できない。国家権力はむしろ新自由主義路線のアクセルを踏むために、ライブドアという不安定要素を斬り捨てたとみるべきだろう。
株式市場のグローバル化が進む中、ライブドア流の脱法行為がまん延しているようでは、日本の株式市場そのものが信頼を失うことになりかねない。そこでライブドアを見せしめ的に摘発することで、市場の健全性をアピールする。と同時に、この事件を利用して「IT時代の証券取引や新しいグローバリゼーションに対応する市場整備が遅れがちになっていたのを、前向きに直していく」(渡辺正太郎・経済同友会副代表幹事)。今回の国策捜査にはそうした意図があったのではないか。
ガス抜きの側面も
国策捜査にはもう一つ、世論のガス抜きという側面がある。各種世論調査が示すように、小泉改革がもたらした所得格差・生活格差の増大に国民は強い不満を抱いている。怒りの矛先を巧妙にそらしてきた小泉流デマゴギーもそろそろ効力が薄れてきた。だから新自由主義路線に対する批判が広がらないように、国家権力は「勝ち組の象徴ホリエモン」をスケープゴートに仕立てたのだ。
事実、新聞各紙の論調はライブドア事件に対する小泉自民党の対応を批判しても、ライブドアを太らせた小泉改革を正面から批判することはしない。「堀江容疑者を持ち上げて選挙を戦ったことと、日本の将来にとって必要な小さな政府を実現するための小泉構造改革とは峻別されねばならない」(1/25産経主張)というように。
格差社会に対する国民の不満や怒りをホリエモン叩きという“祭り”に誘導することで、グローバル資本主義という真犯人を覆い隠そうとする意図が見え透いている。
もっとも、こうしたガス抜きにどれだけの効果があるかは疑わしい。政治家や新聞社説が「額に汗を流して働くことが大事だ」と説教をたれても、多くの人々、特に若い世代はしらけるばかりであろう。今の日本が額に汗して働いても報われない格差固定社会であることを、彼らは身をもって知っているからだ。
国家権力の意図は別にして、ライブドア事件は貧富の二極分化が進む格差社会の実態を浮かび上がらせた。これをグローバル資本主義への広範な批判に発展させていくことが求められている。 (M)