ロゴ:怒りから建設へロゴ 2006年03月24日発行928号

第13回『政教分離の社会があたり前 / 民衆の間に宗派対立などない』


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 イラクではイスラム教スンニ派とシーア派の抗争により多くの市民が犠牲になっているとマスコミは描き出す。だが、宗派間の対立が事件の原因とは思えない。そこには、イラクの分断統治を狙う占領軍の思惑や新政府発足に向けた利権争い、イスラム政治勢力の意図などが渦巻いている。暴力の日常化を歓迎するのは、占領軍や武装勢力だけである。イラク民衆はイスラム主義を望んではいない。思想信条・信教の自由を保障する政教分離の社会を当然のごとく受け入れている。(豊田 護)


信者さえ恐れる

 「母さん、いつもはしていないスカーフを、今日はどうしてかぶっているんだい」

宗教色のない服装、男女共学−イラクの若者にとってはこれが当たり前
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 久しぶりにキルクークの実家に帰ったIFC議長サミール・アディルは、帰宅のあいさつもそこそこに母親にたずねた。彼女は、きまり悪そうに答えた。

 「だってお前、最近物騒じゃないか」

 キルクークでも、イスラム主義者の姿が目に付くようになった。時は、ラマダン(断食を行う宗教儀式)の月。いやが応でも宗教的な雰囲気は高まる。イスラム主義者の行動もエスカレートする。何が起こるかわからない。そんな不安から、スカーフをかぶったのだ。

 サミールの母親は敬虔なムスリム(イスラム教徒)だという。家族らに食事を作りながら、一人断食を行っていた。昼間の明るい間は、水も口にしない。そんな母親にとっても、昨今のイスラム主義者の行動は脅威に感じる。

 「1日5回お祈りをする母でさえ、イスラム政治勢力の連中のことをデビルと呼んでいる」とサミールは言った。

 イスラムを生活信条とすることと、イスラムの教えを暴力的に強要するイスラム主義とは、まったく別物だ。

占領が変えた日常

 民衆の中に宗派の対立感情はあるのか。

 昨年8月31日、バグダッドで2000人を越える死傷者が出た大事故があった。「アインマ橋の悲劇」である。

 バグダッドの街中を蛇行して流れるチグリス川をはさんで、シーア派が多く住むカディミヤ地区とスンニ派の多いアダミヤ地区がある。古くからの街だ。両地区をつなぐアインマ橋で事故は起こった。

 その日、シーア派の祭礼のため、数十万の巡礼者がカディミヤ地区のモスクに押し寄せていた。シーア派の貧困層が多く住むといわれるサウラ地区(現サドルシティ)からは、アダミヤ地区を通り橋を渡る。橋上は満杯。そんな状態で「自爆犯がいる」とのうわさが民衆の中に広まった。パニックとなった群衆は橋の上で転倒・圧死したり、転落・溺死した。多くは女性や子どもたちだった。

 このとき、アダミヤ地区の人々は、救助のために川に飛び込んだり、負傷者の手当てにあたった。モスクの拡声器が地区全体に呼びかけた。

 宗派の違いなど、何の障害にもならない。普段からの交流もあり、難事にあたっては当然のごとく助け合ってきた。家族の中にもシーア派もいればスンニ派もいるのが普通なのである。

サミールIFC議長の母親。敬虔なイスラム教徒だという
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 カディミヤのモスクは金色に輝き、門前には大きな市場がある。2003年2月に訪れた時、子どもを抱いた母親や女性たちが屋台でお菓子を買い求め、金製品のショウウインドウをのぞき込んでいたのを覚えている。

 アダミヤ地区には地味なスンニ派のモスクがあり、同じように市場が広がっている。にぎわいはカディミヤと変わらない。ただ戦争後の5月に訪れたときには、モスクの建物や時計塔に砲撃であいた傷や穴が残っていた。

 ごく普通の日常生活の場は戦争・占領によって一変した。

アインマ橋の悲劇は、誰かが仕掛けた流言によるものなのか、あるいは偶発的であったのか、真相はわからない。ただいえることは、民衆には占領や暴力に対する憎しみはあったにせよ、宗派の違いによる憎しみなどないということだ。

宗教利用への怒り

 スレイマニヤの配電所に勤めるノザッドの父親サラは70歳になる。若い時、スウェーデンやドイツを旅したという。

 「この年になるまで、お祈りなど一度もしたことがない。小さいときから神を信じてはいなかった。父親もそうだった。その父親もな」

 クルド人は、欧州へ仕事などで出かける割合が高い。親戚など近しい人には必ず外国で生活した人がいるという。他国の情報が周辺にあふれている。「イスラムなんてオールドファッションだ」と豪快に笑い飛ばすサラは特別なのかもしれないが、90%がイスラム教徒という統計は、日本人の90%が仏教徒と言うに等しく、信じがたい。

 ノザッドとともにスレイマニヤ生活防衛委員会の代表をつとめるアクラムの実家を訪れた。居合わせたビジネスマンの長兄は、こんなことを言った。

 「世界は、イスラム原理主義との闘いを9・11事件以降に始めた。だがわれわれは、1400年前から闘っている」

 米大統領ブッシュの「対テロ」戦争は、中東のイスラム教国をターゲットにした。それまで「原理主義者」を利用してきたことも事実だ。イスラム発祥時からの「1400年の闘い」は、誇張した表現とはいえ、イスラム主義者に対する怒りがあらわれている。当然、それを利用している者に対する怒りでもある。

 イラク北部のクルディスタンでは、イスラム政治勢力による爆弾攻撃は数えるほどしか起こっていない。占領軍の後ろ盾をもつクルド民族政党の独裁的な支配の中で、「治安」が守られているのかもしれない。あるいは、民族政党と宗教勢力の間で、棲み分けができているのかもしれない。

 取材を通じて感じたことは、他の地域以上に政教分離を支持する雰囲気が強いことだ。酒屋が店を開き、西洋音楽のテープが売られる。戦争前のバグダッドと同じような空気があった。

 イラクでは、イスラム政治勢力の民兵がイラク軍兵士や警察官になっている。暗殺部隊が内務省に組織されている。民衆の間に憎しみを作り出し分断することが利益となる者たちは、宗派の次には宗教の違いを、そして民族の違いを強調するに違いない。

 イラクからの悲報を聞く度に思う。政教分離、自由平等の社会の実現に異論を唱える民衆は誰一人いないと。(続く) 

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