有事法制・改憲策動による戦争国家づくりを押しとどめ、市民自らの手で憲法9条を実現していく、無防備地域条例直接請求運動が全国15自治体にまで広がっている。しかし、この間、これまで条例賛成の立場で議会討論を展開してきた日本共産党(以下、共産党)議員が一転して棄権(市川市・日野市・国立市)・反対(大田区)へと態度を変更した。これは、ジュネーブ諸条約と無防備地域宣言の誤った認識によるものだ。
大田区議団の反対見解
ジュネーブ条約の誤った認識をもっとも象徴的に示したのが、共産党大田区議団の「今こそ、「憲法9条守れ」「大田区平和都市宣言を生かせ」の立場で力を合わせましょう―「大田区無防備平和条例」案についての「見解」も含めて―」(7月8日)だ(以下「見解」)。
「見解」は、「憲法の原則と相容れない戦争を想定した施策や他国による占領、住民の当然の権利の否定につながることを認めることはできません」と無防備平和条例案に反対を表明している。とんでもないいいがかりだ。
ここには、まず「ジュネーブ条約そのものが、戦争と武力行使におけるルールを定めた『国際人道法』です。『無防備地区』の規定も戦争を前提として、紛争・戦争時における市民の犠牲を防ごうというものです」という、国際人道法に対する誤った認識がある。共産党のジュネーブ条約理解は、”戦争のルール”といわれた「戦時国際法」の段階にとどまり、国際人道法への発展がまったく理解できていない。
共産党は1万6千人をこえる区民の意思に背を向けた(大田区)
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現代国際法は、戦争にとどまらず武力行使や武力による威嚇を紛争解決の手段としては原則違法としてきた。国連憲章も武力行使はきわめて限定的にしか認めず、紛争の平和的解決を義務付けている。
だが、現実にはこのような規範を破るブッシュのような「無法者」が存在する。そのような者からも民間人を守るための法としてジュネーブ諸条約は存在する。ジュネーブ諸条約には「戦闘の方法及び手段」などの規定があるが、あくまでも保護されるべき紛争犠牲者を特定し、保護するに必要な事柄を具体的に示すために他ならない。
戦争を違法化し住民の保護を最優先させる国際人道法を「戦争と武力行使におけるルール」とする「見解」の理解は、歴史を何十年も後戻りさせる。無防備地域を「戦争が前提」とみなす主張は、時代錯誤もはなはだしい。
人権は守られる
「見解」は「『当局または住民により敵対行為が行われないこと』として、戦争に反対するという住民の権利を否定する条項が盛り込まれています。これは、住民の福祉と安全を守るべき自治体が、住民の当然の権利を否定することになりかねません」と主張している。
「戦争反対の権利もない」というのはまったくの無理解だ。
前提として、不当な侵略・占領、圧制への民衆の抵抗権は、誰もが否定し得ない普遍的な権利だ。しかも、占領国には、占領地域における既存の法令を遵守する義務がある。被占領地の治安・法秩序維持の義務も課せられている。つまり、軍政とは言っても、既存の国内法に基づく行政しか認められていない。国内法・国際法で保障されている基本的人権は守らなければならず、その否定は国際法違反の戦争犯罪として裁かれる。
「見解」は、第59条が「敵対行為」を禁止していることをもって「一切の抵抗を許さず、反戦の意思さえ示せない」と主張する。これは「敵対行為」をきちんと解釈していないからだ。
ジュネーブ諸条約では「敵対行為」を「関係当事国は、敵対行為の開始に当り、及び敵対行為の期間中…」「敵対行為に参加した者の保護」というように用いている。
諸条約が想定する「敵対行為」の主体は、紛争当事者(国際関係なら複数の政府。国内なら政府と反政府勢力など)であり、住民はあくまで参加者・協力者。紛争当事者と住民個人を峻別している。
追加議定書第59条「当局又は住民により敵対行為が行われないこと」の「敵対行為」とは、政府などの紛争当事者による軍事行動に個人が参加・協力すること(戦闘・兵站・諜報など)を指すと理解されねばならない。
だから、仮に占領国が無防備地域でジュネーブ諸条約や他の国際法・国内法に反する人権侵害・抑圧を行った場合、自らの人権を守るために抵抗することは当然許される。政府の意思と一体となった軍事行動とは別の行動であり、かつ、イラクのイスラム武装勢力のように自ら紛争当事者として新たに紛争に参加するわけではないからだ。
同様の理由で「反戦の意思表示」も可能だし、地域住民の人道的保護のために占領終結の平和的交渉を軍当局と行うことも可能だ。
第59条では「法および秩序の維持のみを目的として保持される警察」の存在までも許容している。武力行使を目的とした軍事行動と、法秩序の維持を目的とした警察行動を厳格に区別しているからだ。占領当局に対する警察権の行使は可能だ。
強制労働に徴用?
「見解」は「無防備地区は外国軍隊に占領され、そのもとでの軍政、徴用などに一切抵抗しないことが義務付けられます。それは、無条件降伏ともいえるものです」とする。自民党議員が国立市議会で主張した「自国を侵略するための様々な強制労働に狩り出される」と何ら変わらない。
占領地での労働の規定は、ジュネーブ条約(第4条約)第51条以下に明示されている。「労務の徴発」は、あくまで文民・傷病者などの紛争被害者救済のためなどに限定されている。軍に所属することや軍事行動に参加させることは禁じられ、公正な賃金の支払いのほか被占領地域の労働法適用が義務付けられている。「占領軍の需要」のための労働もせいぜい公共サービスの提供だ。反対派議員がイメージする”強制収用所での強制労働”は禁じられている。
そもそも、強制労働そのものが1930年のILO(国際労働機関)29号条約で明確に禁止されたものだ。個人の生命や尊厳を守ることを目的としたジュネーブ条約が強制労働、人権侵害を認めるはずがない。そのような論議自体、ジュネーブ条約を冒涜(とく)するものである。
無防備こそ9条の実現
「見解」の「日本の国土が戦場になる、日本が外国から武力攻撃を受けることを前提とした『無防備地域宣言』は、憲法9条の理念とは異なる」との主張も言いがかりだ。
無防備運動の前提にあるのは、日本が武力攻撃を「受ける」のではなく「仕掛ける」側であるという認識だ。
無防備地域は、地域ぐるみで武力紛争に参加・協力せず、誰にも敵対しないことを世界に明らかにするものであり、戦闘員の撤退や兵器・軍用施設の撤去、軍事行動非協力など具体的な行動がともなう。この行動が、日本を戦争国家にしようとする好戦勢力の手足を縛る。
無防備地域こそが、交戦権の否定と戦力不保持を誓い、武力行使と武力による威嚇を放棄した憲法第9条の理念を体現している。
共産党市川市議団は「常備軍をおくことは誤りだと考えていますが、急迫不正の攻撃に対しては、あらゆる手段で抵抗することが市民に対する責任だと思っています」とする。共産党は、市民をも巻き込む武装抵抗や、自殺爆弾・テロを仕掛けることも辞さず「あらゆる手段で抵抗する」というのか。また、「常備軍」さえ持たなければ、戦力を持ち武力を行使してよいというのか。それは決して9条と相容れるものではない。
「9条守れ」と何百回となえても9条は守れない。世界の平和勢力と結んで憲法9条実現を日本政府に押し付けていくために、無防備地域運動は重要な力となる。