2007年04月20日発行982号

【学テ不参加の犬山市教育委員会 講演要旨 中嶋哲彦名古屋大学教授 全国学テは人間的価値否定】

 全国学力テストの目的として3つが説明されている。

 一つが04年に中山文科相(当時)が唱えた「競争意識の涵養」で、国家戦略として学力向上を図ること。2つ目が、文科省が言う教育施策を検証する行政調査だということ。3つ目が、規制改革・民間開放推進会議の答申(06年12月)の言う教育バウチャー制度の基本パーツとして位置づけることだ。

 この3つは矛盾する。文科省は、競争をあおったり学校を序列化することはよくない、だから点数は公表しないと言う。これは、大臣の言葉を正面から否定することになる。

 テスト結果については、情報公開請求が出れば、公開せざるを得ないだろう。文科省は個人情報についての認識が非常に甘い。230万人もの情報を扱う危険性がどれほど大きいか。ここに焦点を絞った教育委員会への働きかけが重要だ。

学力テストは有害

 しかし、中心的問題は競争意識をこれ以上増していいのか、それで子どもが幸せになるのかということ。

 文科省の施策検証にかかわってPDCAサイクルという問題がある。プラン(計画)、ドゥー(活動)、チェック(評価)、アクション(措置)で、Cの一つが学テだ。PとDがうまくいっているかを評価し、結果によっては国が何らかの措置を取る。

 文科省は、全国的な学力の状況を調べ、国として改善のための具体的なメッセージを示すと言っている。学校の新しい管理の仕組みを導入するものだ。

 なぜ犬山市教育委員会は学テに参加しないと決められたのか。一つには、この6〜7年間、少人数学級や教材づくりなどを教育委員会が提起し、学校が受けとめ、教育改革を自分たちでつくり上げてきたことがある。

 少人数学級は習熟度別授業ではない。子どもたちは学び合いを通じて学習し、学習を通じて人間として成長していく。他の人を助けることに喜びを持ち、他の人に援助を求めるのは恥ずかしいことでないと学ぶこと。だから学習は共同的なものでなければならないというのが、教育委員会の考え方。それを保護者や教師も認めるようになった。この積み上げで学テは不用どころか有害との考えにまで進んでいる。

教育は地域で作るもの

 2つ目には、犬山の教育委員会は現行法上の権限として、こう考えるときちんと言っただけ。どこでもできるということだ。学テはおかしいと思っている教育委員会はけっこうあるが、勇気がない。勇気を与えることが市民の側の運動に求められる。

 私は「犬山の子は犬山で育てる」と言い、これが定着してきた。自分たちの町の教育は自分たちでやりたい、国は口を出さないでほしいと明確に言わなくてはいけない。

 国家的な価値と地域的な価値の間には違いがある。教育が地方に任されているのは、国民一人ひとりが育っていく時、国家的な価値や論理ではなく人間的価値や地方の論理が活かされるように教育制度を作らなくてはならないからだ。世界のどこでも教育は地方が行う。教育は自分たちの町でつくっていくものであって、そこに学テという制度を利用して国が口をはさんではならない。

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