2007年05月25日発行986号

【童話作家のこぼれ話〈64〉 サクラを「しあわせな ぞう」に】

 今からちょうど4年前の2003年5月20日―。

 1頭のゾウが日本から韓国に渡った。ゾウの名前は「サクラ」。1965年に生後7か月半のときにタイから「宝塚ファミリーランド」にやってきたメスのアジアゾウだ。

 宝塚ファミリーランドは2003年4月7日、92年の歴史に幕を閉じた。閉園当時、宝塚ファミリーランドの動物園には、93種約600匹の動物が飼育されていた。ホワイトタイガーなど、珍しい動物はすぐに引き受け先が決まり、ほかの動物たちも次々と引き受け先が決まっていったが、サクラを引き受ける施設はなかなか見つからなかった。

 ゾウは動物園のスーパースターだ。「ゾウがいない動物園は動物園といえない」といっても過言でないほど、ゾウは動物園になくてはならない存在だ。けれども地上最大の動物はそう簡単に飼えるものではない。高くつくえさ代、広くて頑丈な展示設備、事故が起きると人間にも被害が及ぶ危険な生き物だからしっかりとした調教も必要だ。そんな中、関係者の懸命の努力で、韓国の「ソウル大公園」がサクラを受け入れることになった。

 しかし在日の僕は、「サクラ」という名前が気になって仕方なかった。日本の象徴であることから、過去には「桜伐採運動」もあったからだ。果たして日本からいったゾウが韓国で愛されるのだろうか?と、とても心配だったのだ。

 サクラを取材している過程で驚くべき史実も知った。サクラ以前に、日本から韓国へと渡ったゾウがいたのである。最初に渡ったのは足利幕府の時代。1408年に渡来した日本初のゾウは、「八万大蔵経」と交換されて朝鮮へ渡っていた。が、人を殺めて「島送り」となり、朝鮮各地を転々とさせられたあげく、波乱に満ちた生涯を終えた。

 2番目に渡ったゾウは日本の植民地時代。敵の空襲に備えるとして旧日本軍の命令で殺された。絵本『かわいそうな ぞう』の悲劇は、海の向こうの朝鮮でも行なわれていたのだ。そしてサクラが3番目のゾウとして韓国へ渡った。よく「歴史は繰り返される」というではないか!

 果たして韓国に渡ったサクラは……。

 僕は数年に渡って調べ上げたことを一冊の児童書にし、『サクラ―日本から韓国へと渡ったゾウたちの物語―』を学研から出版した。幸運にもこの物語は、日本児童文学者協会が主催する「第一回子どものための感動ノンフィクション大賞」の最優秀作品を受賞した。韓国での出版も決まった。

 この本が日韓の子どもたちを結ぶ本になるよう願う。何よりもサクラが日韓をつなぐ「しあわせな ぞう」になってくれることを心より願っている。

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