本紙前々号(987号)で戦後最悪の戦争誘導映画と評した石原慎太郎・製作総指揮の映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』(新城卓監督)。これに見事なパッチギ(頭突き)をかまし、批判する映画が公開中だ。エグゼクティブプロデューサー・李鳳宇(リ・ボンウ、シネカノン代表)、井筒和幸監督の『パッチギ!LOVE&PEACE』である。そのメッセージは「生き抜くんだ、どんなことがあっても」だ。
石原映画を大批判
同じく李鳳宇プロデューサー、井筒和幸監督による『パッチギ!』(2005年)の続編だが、別の作品と見たほうがいい。
舞台は、前作の1968年京都から1974年の東京へ。在日朝鮮人2世の主人公リ・アンソン(井坂俊哉)一家は、難病を抱える息子チャンス(今井悠貴)を治すために上京する。叔父ビョンチャン(風間杜夫)を頼り、東京都江東区の在日コミュニティ枝川に暮らす。息子の命を救おうと必死になるアンソン。妹のキョンジャ(中村ゆり)は、治療費を稼ぐために「在日」という出自を隠して芸能界に飛び込んでいく。東北出身の孤児で元国鉄(現JR)運転士の佐藤政之(藤井隆)も加わり、ドラマは進む。
一目で、この映画が『俺は、君のためにこそ死ににいく』を意識し、対案を提起したものだと分かる。劇場公開も同じ時期にぶつけた。キョンジャが「シンデレラガール」として抜擢され、ヒロインとなる劇中映画『太平洋のサムライ』のモデルは『俺は、君のためにこそ死ににいく』、キョンジャを「三国人だね」と呼ぶプロデューサーのモデルが石原であるのは明らかだ。
世代をつなぐ命
石原映画の”君のためにこそ死ににいく”に対する『LOVE&PEACE』のメッセージは”君のためにこそ生きていたい”であり、まったく対極だ。
映画のクライマックスは、『太平洋のサムライ』の劇場公開初日の舞台あいさつ。芸名「青山涼子」のキョンジャがマイクを握る。しばらくの沈黙のあと、キョンジャは満席の観客に向かって、在日であることを明かす。
「私の父は、1920年済州島に生まれました。名前はリ・ジンソン。戦争に行かないで、南の島に逃げた父を、私は一度も卑怯だと思ったことはありません。父は戦争から逃げて生きてくれたからこそ、私はこの世に、今こうして生まれることができました」
このクライマックスに、父ジンソンや叔父ビョンチャンたち一世が南洋諸島のヤップ島で戦火から逃げまくるシーンがオーバーラップする。告白に「だったら朝鮮人は国に帰れ」との罵声に負けじと、客席を見返し立ち向かう二世のキョンジャ。「ボク、死ぬの?」「生きたい、ボク」と震える三世のチャンスを「生きるんや。どんなことがあっても生きるんや」と抱きしめるアンソン。一世から二世、三世と世代を超えて生き抜くための闘いは継続しているのだ。
銃をとらぬ勇気
物語は事実を基にしている。李鳳宇プロデューサーの兄は筋ジストロフィー症のために18歳で死亡した。父は日本軍からの徴用を逃れるために、実際に済州島からヤップ島に逃げた。
李鳳宇さんはこの映画のメッセージを次のように語る。「あえて銃をとらないこと。戦争から逃げること。そしてボロボロになっても生き抜くことが大切なんだ」
この映画は同時に日本の社会のあり方をも問うている。
「芸能界というのは日本の縮図なんです。実際は在日と日本人がいっしょに支えているのに、マイノリティについては口を出さないという暗黙の『お約束』がある。表面的には個性が尊重されているようで、実は異質なものを受け入れようとしない。まさに日本の社会そのもの」と井筒監督は語る。
エンドロールに象徴的な場面が出てくる。国鉄を首になりアンソン一家に転がり込んだ佐藤くんが、在日コミュニティの温かさに触れて、家族の絆を取り戻すシーンだ。その後に、アンソンやビョンチャンたち家族や親戚が一同に食卓を囲み、団らんするシーンが続く。かたわらに漬物石が。それはヤップ島の石貨(石の貨幣)だった。
降り注ぐ銃弾の嵐の中、ジンソンやビョンチャンがヤップ島の住民の助けで逃げ隠れたのが石貨の背後。命を救った石が、在日の食を支えるキムチの漬物石として今も生き続けているのだ。
『パッチギ!LOVE&PEACE』は今を生きる人たちが見るべき映画だ。(K)