2020年01月17日 1608号

【非国民がやってきた!(322)国民主義の賞味期限(18)】

 佐藤嘉幸と廣瀬純は共著『三つの革命――ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』の末尾において、高橋哲哉の応答責任論と犠牲のシステム論の有効性に疑問を投げかけました。

 佐藤と廣瀬の高橋批判は明快ですが、その思想的含意は単純ではありません。「ドゥルーズ=ガタリの政治哲学」という副題に見られるように、本書はフランス現代思想の大御所であるドゥルーズ=ガタリ政治哲学の理論的射程を測定するために、その変遷を辿り直す試みです。

 問題意識は言うまでもなく「現代資本主義の乗り越え」にあります。そのためにドゥルーズとガタリはどのような理論構築を続けたのか。佐藤と廣瀬はどのようにドゥルーズとガタリを受け止め、自らの血肉としたのか。その理路を確認しておく必要があります。

 『三つの革命』という書名は、ドゥルーズ=ガタリの政治哲学が3冊の書物において変遷/変容/発展を遂げたことから選ばれました。佐藤と廣瀬によれば、ドゥルーズ=ガタリは『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』、『哲学とは何か』という3冊の書物において、現代資本主義に対抗する革命戦略を深化させました。その際、革命戦略そのものには一貫した揺るぎなさがあると同時に、その戦略を実現するための戦術には変遷/変容/発展を見ることができます。にもかかわらず従来の欧米及び日本の研究者はこの変遷/変容/発展を必ずしも明確に意識してこなかったため、ドゥルーズ=ガタリの思想を隈なく汲み取ることができずにきました。それゆえ佐藤と廣瀬は「4つの手」で、つまり共著という形でドゥルーズ=ガタリという山脈に挑みました。単に2人で分担執筆したのではなく、徹底した討論を通じてあたかも1人の執筆者が4つの手で書いたかのごとく練り上げた共著です。

 ドゥルーズ=ガタリの名前は聞いたことがあっても、その思想はよく知らないという人も少なくないでしょう。

 ジル・ドゥルーズ(1925〜1995年)はフランスの哲学者で、パリ第8大学教授を務めました。20世紀のフランス現代哲学を代表する一人であり、ジャック・デリダなどとともにポスト構造主義の時代を代表すると見るのが一般的でした。ドゥルーズの単著としては『差異と反復』(1968年)、『意味の論理学』(1969年)があります。

 ピエール=フェリックス・ガタリ(1930〜1992年)はフランスの哲学者、精神分析家です。ガタリの単著としては、『精神分析と横断性』(1972年)、『アンチ・オイディプス草稿』(2004年)があります。

 1968年、パリの5月革命の年に2人は出会ったと言われます。意気投合した2人はその後、数々の共著を世に問います。ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス――資本主義と分裂症』(1972/73年)、『千のプラトー――資本主義と分裂症』(1980年)、『哲学とは何か』(1991年)が代表作ですが、単なる共著ではなく、二人で書くことの特別な意義や重要性が「絶えず複数であること」と言われる著作群です。

<参考文献>
 『アンチ・オイディプス』(1972/73年)、『千のプラトー』(1980年)、『哲学とは何か』(1991年)のいずれも邦訳があり、後に河出文庫に収録されたので比較的容易に入手できます。
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