2020年01月24日 1609号

【シネマ観客席/さよならテレビ/監督 土方宏史 2019年 東海テレビ放送 109分/密着取材で描く「テレビの今」】

 東海地方限定の放送ながら大きな反響を巻き起こしたドキュメンタリー番組『さよならテレビ』の映画版が劇場公開中である。自局(東海テレビ)の報道部にカメラを向け、「テレビの自画像」を描くという前代未聞の試みだ。1年7か月間の密着取材で浮かび上がった「テレビ報道の今」とは…。

視聴率の呪縛

 名古屋に本社を置き、愛知・岐阜・三重の3県を放送エリアとする東海テレビ。その社屋では報道部長が社会見学の小学生相手に「報道の役割」を説明していた。(1)事件や事故、政治の動きを伝える(2)困っている人(弱者を助ける)(3)権力を監視する―。

 お題目は立派だ。だが、現実のテレビ報道はどうだろうか。ニュースの作り手たちは商業主義という別の原理に縛られている。報道部フロアに張り出された視聴率の各局比較表。「東海テレビ4位」の文字が踊る。夕方のニュース番組のデスクたちは、伸びない視聴率に頭を抱えていた。

 ある日の放送では、冷凍食品を特集したコーナーだけが数字を伸ばしていた。「グルメばっかりにしたら4位から脱出できるね」と、番組スタッフに話を振る土方監督。スタッフの反応は「でも、それだとニュース番組ではなくなるね」。

 ニュース番組の情報バラエティ化はテレビ局共通の傾向である。番組メニューが「お得情報」の紹介だらけになるのも、コメンテーターにタレントを起用するのも、視聴率のため。身もふたもない話だが、それが営利企業である民間放送の現実である。

 スポンサーなど企業の要望にも応えなければならない。業界用語でいう是非ネタ=Zのことである。営業部が獲得してきた宣伝まがいの企画も、局にとっては大事な仕事だ。

 Zを担当することが多い澤村記者(49)は「自分は経済紙の出身。抵抗はないです」と話す。「契約(社員)なんで、いらないって言われたら終わりですよ」とも。会社が割り振る仕事を嫌と言える立場ではないということだろう。

 そんな澤村も密着取材が続く中で、本音を語るようになっていく。本多勝一や鎌田慧に憧れジャーナリストを志したこと。報道のあり方に強い問題意識を持っていること。そして、「共謀罪」法案(取材当時国会で焦点となっていた)に警鐘を鳴らす企画を独自に温めていること…。

 「共謀罪という言葉を使わないメディアは政府を支えているんです」。熱く語る澤村。だが、彼が書いたニュース原稿にデスクの修正が入った。フジテレビ系列は法案の呼称を「テロ等準備罪」で統一しており、東海テレビはそれに従ったのだった。

「非正規」の使い捨て

 テレビ局は別世界の特別な存在ではない。一般の企業と同じ問題を抱えている。「非正規雇用」の増大がそうだ。すでに娯楽・情報番組では制作の外注化が進んでいたが、その波は聖域とされてきた報道の現場にも押し寄せてきた。

 「働き方改革」で残業時間を減らすことになった正社員の穴埋めは「派遣」でまかなう。渡邊記者(24)はその一人。もともと口下手な上に、まともな記者教育も受けていない。いきなり現場に投入されて、うまくいくはずがない。「成果を出せないと終わっちゃうんじゃないか」との焦りもミスを誘った。

 結局、渡邊は1年で東海テレビを去った。報道部長は「卒業」と紹介したが、実態は「使えない」と判断されてのお払い箱だ。「若者の貧困化」を伝える報道の現場で、人間の使い捨てが常態化している。

「伝える」とは何か

 長期取材が終わろうとしていた頃、澤村は土方監督の“演出”に「現実ってなんでしょうね?」と疑問を投げかける。このドキュメンタリーを従来のテレビの枠内に着地させていいのか、というのだ。「そんなヌルい結末でいいんですか。テレビが抱える闇って、もっと深いんじゃないですか」

 「きれいにまとめようとするテレビマンの癖」を指摘され、返す言葉がなかったと土方監督。そこでドキュメンタリーの作劇術をさらけだす場面をエピローグに組み込んだという。詳しくは書かないが、「すべてフェイク」と受け取られかねない結末には賛否が分かれるところだろう。しかし、観る側にも映像を批判的に読み解く力=リテラシーが求められていることは言うまでもない。

 タイトルの「さよなら」は、「これまで」のテレビに「さよなら」の意味だと、阿武野勝彦プロデューサーは話す。作り手の決意表明である本作品を真摯に受け止めたいと思う。テレビ報道を究極的に規定しているのは一人ひとりの視聴者なのだから。    (O)

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