2020年01月24日 1609号

【日韓ユース平和参加団in済州(上) 沖縄から済州へ日韓青年の連帯深まる 基地建設を止め、平和を築く共同行動を誓う】

 日本と韓国の青年が平和のために共同して行動しようとZENKOと韓国の代案文化連帯が企画した「日韓ユース平和参加団in済州(チェジュ)」。昨年のin沖縄に続く2回目。1月10日から13日の4日間、韓国・済州島の歴史と軍事要塞化が進む現状を学び、感想を交流、連帯した運動を継続することを誓った。日韓政府が対立する中で取り組まれた市民レベルの連帯行動に韓国メディアも注目した。

基地建設阻止へ

 参加団は企画の最後に、済州道庁の門前で共同宣言を発表した。「済州海軍基地撤去、第2空港建設反対、辺野古新基地建設阻止の行動」として「済州島で学んだことを報告会や報告集で回りに伝えよう!」

 海軍基地は完成後も部隊の拡充や米艦隊の配備の恐れがあり、基地撤去の闘いが続いている。計画段階の第2空港は表向き民間空港との触れ込みだが空軍基地化が狙われている。

 基地に反対するのは環境破壊が引き起こされるからでもある。建設中の沖縄辺野古新基地でも貴重な自然が破壊されている。沖縄を観光地としか知らない人に基地被害を知らせ、建設反対運動を広げることと同じように、観光地済州の真実を報告会などで広げようと確認した。

 共同宣言はさらに「米国のイラン攻撃に反対し、韓国軍・自衛隊の中東派遣を阻止するための世界の平和をつくる日韓青年共同行動≠同時開催しよう」と掲げた。自衛隊はすでに出撃し、韓国軍も動きを見せている。平和の大切さを学んだ青年たちは目の前の戦争の危機に沈黙せず行動を具体化する。

 青年たちの4日間のフィールドワークが共同宣言となった。4・3事件の追悼行動、労働、文化、差別・排外主義、環境破壊、気候変動など広範囲にわたる分野で意識的に共同行動に取り組む。

 国家間の対立が煽られる中、市民レベルの日韓交流に、初日に行った同場所での記者会見とあわせ多くの韓国メディアが注目した。

過去の歴史ではない

 青年たちはどんな体験をしたのか。「本当は済州の名は使いたくありません」。1日目の夜、参加団の受け入れに尽力したノ・ミンギュさんは済州が抱える問題を講演した際、そう言った。「済州」とは「海の向こうの国」。韓国本土から見た呼び名だからだ。

 済州はかつて「耽羅(タムナ)」と呼ばれる独立国だった。済州の歴史は、中国大陸の王朝「元」や朝鮮半島の「高麗」「朝鮮」など常に外からの支配者に対する抵抗の繰り返しだった。「高麗、百済はモンゴルと同じく悪い奴ら…」。他人を最大限非難するときの常套句として今も使われるという。

 済州を軍事基地に変えたのは旧日本軍だった。2日目、平和ガイドのオム・ムニさんが旧日本軍基地跡を案内した。中国攻撃に使われたアルトゥル飛行場の特攻機格納庫の前で南京虐殺に触れた。地元住民は事件のあった12月、毎年慰霊祭を行っている。住民自身、飛行場建設で過酷な労働を強いられ失明する者も出たというのに、知らずに加害者にされたことを悔しく思っているというのだ。

 3日目には第2飛行場予定地城山(ソンサン)を4・3事件ガイドのソン・ギナムさんの案内で見て回った。

 城山にも4・3事件の虐殺現場があちこちにあった。朝鮮半島の南北分断となる1948年の単独選挙をボイコットした済州。島民の5人に1人と言われる大量虐殺が起こった。主犯となった西北(ソブク)青年会は植民地時代の親日派だったとソン・ギナムさんは言った。日本の植民地支配が招いた悲劇だった。沖縄、済州を犠牲にしてきた日本の姿が改めて浮かび上がった。過ぎた歴史の話ではない。今に続く戦争の姿だった。

 ノ・ミンギュさんは「4・3事件の名前はまだ定まっていない。4月3日だけの事件ではないからだ」と語り「まだまだやることはある」と決意を述べた。

 寒風が吹きつける中、青年たちは悲惨な現場をたどり話を聞いた。この共通体験を確かな連帯感に高めるのには、3回のワークショップが大きな役割を果たした。(続)



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