2020年01月31日 1610号

【非国民がやってきた!(323)国民主義の賞味期限(19)】

 佐藤嘉幸と廣瀬純は共著『三つの革命』において、ドゥルーズ=ガタリの政治哲学が3段階で変遷/変容/発展を遂げたと言います。現代資本主義に対抗する革命戦略は一貫しているが、その戦略を実現するための戦術には変遷が見られると言うのです。それではどのように変遷したのでしょうか。佐藤と廣瀬は、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』、『哲学とは何か』の3冊を精緻に読み解いていきますが、冒頭に次のように結論を提示しています。

 「戦術は、主戦場をどこに見出すかによって決定される。反資本主義闘争の主戦場として同定されるのは、『アンチ・オイディプス』ではプロレタリアによる階級闘争、『千のプラトー』ではマイノリティによる公理闘争(諸権利や等価交換を求める闘争)、『哲学とは何か』では動物(マイノリティ)を眼前にした人間(マジョリティ)による政治哲学(哲学の政治化)である。プロレタリアとは何か。マイノリティとは何か。哲学とは何か。」

 「反資本主義闘争の主戦場」は階級闘争、公理闘争、政治哲学へと変遷します。闘争主体はプロレタリア、マイノリティ、マジョリティへと変遷します。

 階級闘争、公理闘争、政治哲学は現実の利害に裏打ちされ、現実の搾取や差別を暴露し、これらと闘う思想であり、運動です。ただドゥルーズ=ガタリにおいては、これ自体では資本主義の打倒はできないとされます。支配されている大衆が、その利害に関わって階級闘争を展開することは重要ですが、それだけでは成果を得られる可能性が見えてきません。

 資本主義は利害によって規定されているというよりは、「欲望」によって規定されているとドゥルーズ=ガタリは考えています。資本主義システムが常に階級化、マイノリティ化、人間化のメカニズムを作動させるのは、「欲望」の「オイディプス化」という作動要因が配備されているからです。

 したがって、資本主義打倒のためには利害に関わる闘争以上に、欲望に関わる闘争が不可欠です。「資本主義は欲望の次元から掘り崩されなければならない」のです。佐藤と廣瀬はこの理論課題に挑戦します。

 なお、「動物(マイノリティ)を眼前にした人間(マジョリティ)」という表現が使われているため、中には「マイノリティは動物なのか」と疑問を持つ人も少なくないでしょう。「動物」概念は、フランス現代思想において独特の用法で使われるタームです。日本の現代思想にも少なくない影響を与えてきました。その意味内容については後に触れることになりますが、沖縄の基地反対闘争において、大阪府警の警官が「土人」発言をしたことを思い出してください。他者を「動物」や「土人」と呼んで貶める思考がこの社会に蔓延しています。このことを逆手に取って議論を展開するために「動物」概念があえて用られると考えておいてください。
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